雷紋、双喜紋、龍の描かれたラーメン鉢

 学生時代、わたしは京都大学で考古学を勉強していた。そのとき考古学専門課程の学生はわたしだけだったので、教授や助教授はわたし一人のために講義をするのであった。
 シルクロードの仏教遺跡の調査や中国の青銅器研究で知られ、のちに橿原考古学研究所の所長を務められた樋口たか隆やす康さんは、その頃京大考古学教室の助教授であった。
 樋口さんが、中国の殷・周時代の青銅器の講義をしたときのことである。講義といっても、わたし一人の受講生のために教壇に立つことはなく、わたしの席の隣に腰かけて、図録を指さしながら語ってくれた。
 「この方形が渦巻き状になって、つながり、右巻きと左巻きが陰陽をあらわし、陰陽の和するところに雷が鳴るといわれる。これが雷紋(らいもん)という紋様で中国では新石器時代の土器にも描かれている。古代ギリシャの土器にも、メアンダーという、おなじような紋様がある」といったようなことを教えてくれたようだ。
 それを聞いて、わたしは「ああ、ラーメンどんぶりの縁に描かれている紋様とおなじですな!」といった意味の返答をしたような記憶がのこっている。

ソバやウドンをいれる和風の丼鉢(どんぶりばち)を使用するラーメン屋はない。「ラーメン鉢」という、ラーメン専用の容器に盛って供する。
 黄色っぽい中華麺、叉焼(チャーシュー)、メンマ(シナチク)、ナルト(鳴門巻き)、きざみネギ、スープが目立つように、ラーメン鉢は口径が広い白磁製のものが普通である。
 スープにおおわれない口縁部には、赤色や青色の雷紋が描かれている。雷紋のほどこされた器を見ると、日本人は「これはラーメン専用の食器だ」ということを理解するのである。
 雷紋のほかに、双喜紋(そうきもん)、龍や鳳凰(ほうおう)の絵が描かれたラーメン鉢もある。双喜紋とは、喜という文字を横に並べた「喜喜」という文字に由来する。中国で双喜紋は、新郎と新婦が並ぶ結婚式や、春節(旧暦の元旦)を祝うときによく書かれる文字である。
中国で龍は天帝の使者としてあがめられ、龍の紋様は、かっては皇帝以外の者が使用してはならないとされた時代もあったそうだ。鳳凰も中国から日本に伝えられた霊鳥であるが、鳳がオス、凰はメスであるとされる。

 わたしは何十回も中国で麺を食べたことがあるが、雷紋のほどこされた日本のラーメン鉢に似た麺の食器に出会ったことは一度もない。ラーメン鉢は日本の発明品といってよいだろう。
 食器だけではない。ラーメンそのものが、日本で成立した料理なのである。現在の中国の都市には「日式拉面」、すなわち「日本式のラーミェン」を食べさせる店が進出している。
 幕末に日本が開港すると、横浜、神戸、長崎の開港場の外国人居留地に華僑が進出して形成された、チャイナ・タウンを「南京町」と呼んだ。そこで供された日本人向けに変形された中国風の汁ソバを「南京ソバ」とか「支那ソバ」といった。
 日本では「支那」ということばが、中国の蔑称とされることもあるので、一九四六年に当時の中華民国から「支那」ということばを使用しないようにとの要請があり、中国風の汁ソバは「中華ソバ」とよぶようになった。その後、ラーメンという呼称も一般化し、一九五八年に世界初のインスタントラーメンである「チキンラーメン」が発売されると、ラーメンということばが定着した。
 この日本におけるラーメンの歴史のどの段階で、どこから、雷紋のラーメン鉢が普及したのか?わたしの知りたいことである。

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