大食軒酩酊の食文化

柳陰(やなぎかげ)

vesta 109号掲載

中央は柳陰、手前右はミントのリキュールとソーダを柳陰に混ぜたうえにミントの葉を散らし、手前左は柳陰にカンパリとソーダをまぜて梅干しをいれたカクテル。

 正月のお屠蘇以外に味醂を飲んだことがありますか?

 

 現在市販されている味醂と名のつくものは、ほとんどがアルコール1%未満の酒税のかからない味醂風調味料である。そこで本来の味醂は酒として飲まれていたことが忘れられてしまった。大酒飲みの酩酊先生も例外ではない。アルコール飲料としての味醂のおいしさに目覚めたのは、近頃のことである。


  そのきっかけをつくったのが、落語の「青菜」にでてくる柳陰である。


 お屋敷の庭で仕事をしていた植木屋が、一緒に酒を飲もうと、主人からさそわれることから落語「青菜」がはじまる。


 「暑いあいだはな、お酒ちゅうやつは妙に体が火照いてどもならんでな、柳陰というやつを井戸で冷やしていますのじゃが、どや植木屋さん、あんた柳陰ちゅうのん呑んでかえ?」と主人がさそうのが、桂枝雀が演じた上方落語「青菜」の速記である。


 上方ネタの「青菜」を三代目柳家小さんが東京ににもってきて、現在では東京の寄席でも演じられる。五代目柳家小さんの速記では、主人が「大阪の友人からもらった柳陰ですが、よかったらおやりなさい」とさそい、それを飲んだ植木屋が「旦那この酒は直しといいませんか?」とたづねると「そうです。大阪では柳陰、こちらでは直しといいますな」と答えている。


 幕末の江戸と上方の風俗を記述した『守貞漫稿』には「京阪夏月には夏銘酒柳陰と云を専用す。江戸本直しと号し、味醂と焼酎を大略半之に合せ用ふ。ほんなほし やなぎかげ ともに冷酒にて飲む也」とある。


 上方で柳陰、江戸で本直しという、味醂と焼酎を半々に混ぜてつくった酒は、夏に冷やして飲むというのである。


 味醂を製造するさいには、まずモチ米に米コウジを混ぜて糖化させて甘味をつくるが、これではアルコール発酵はおこらない。ここへアルコール分のたかい焼酎を加えて、味醂になる。


 戦国時代に、蒸留酒である焼酎の製法が伝わってから、甘味のある酒である味醂がつくられるようになった。江戸時代の味醂は、普通の日本酒よりも高級で高価な酒とされていた。甘味があるので下戸にも飲みやすく、女性にも好まれた。20世紀前半までは、味醂をアルコール飲料として飲む人びともおおかったのである。


 江戸時代の終わり頃になると、味醂を煮切ってアルコール分をとばし、ウナギの蒲焼きやソバつゆに使用するようになり、味醂は調味料に使用されるようになる。


  普通の味醂のアルコール度数は日本酒よりも低いが、飲み助むけに味醂製造のさいに加える焼酎の量をおおくして製造した味醂が、柳陰、本直しである。


 ある夏の日、落語の「青菜」にでてくる柳陰を飲んでみようと思った。現在でも、柳陰や本直しは、少量ではあるが製造販売されている。しかし普通の酒屋では入手しがたいので、味醂に焼酎を混ぜて手製の柳陰をつくってみた。うまい柳陰をつくる秘訣は、伝統的製法で製造された高価な本味醂を使用することである。


 自家製の柳陰を口にしてみると、最初は味醂の芳醇な甘味を感じるが、それを焼酎のドライで切れのよい後口がおぎなってくれる。「これはいける」と何杯もおかわりをしたことである。


 これに味をしめて、手製の柳陰にソーダやリキュールを混ぜた、酩酊先生オリジナルのカクテルをつくるようになった。 そのうち食後酒に味醂をストレートで飲むこともおこなうようになった。イギリス人たちとの食事会の最後に、味醂を飲ませたところ、「日本にはこんなすてきなデザートワインがあるのか」と感心されたことである。

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