大食軒酩酊の食文化

駅弁

vesta 115号掲載

新大阪駅構内の駅弁専門店

 大阪郊外に住んでいるわたしは、学会やさまざまな会合に出席するために、毎月3回くらい新幹線で上京する。

 2000年に東海道・山陽新幹線の食堂車が廃止されたので、新幹線で飲食をするには、車内販売のワゴンサービスがまわってくるのを待たなければならない。そこで、新大阪駅構内にある駅弁専門店で弁当を買ってから乗車する。この駅弁専門店では全国各地の駅弁を百種類くらい売っている。デパートで開催される「全国駅弁大会」とおなじくらいの種類の全国各地の名物駅弁が入手で切るのである。

 そこで「今日はどの弁当を食べようか」と、選択にまようことがおおい。飲み助の酩酊先生のことである。購入した駅弁に合いそうな酒を買うことを忘れることはない。

 乗車すると、さっそく駅弁をひらき、一杯やりながら食べはじめる。車窓にひろがる風景を楽しみながら、ゆったりとした気分で飲食をするのが、わたしにとっての東京への小旅行の楽しみである。

 駅弁は日本の食文化の産物である。欧米では長距離列車に乗るときは、サンドイッチなどの軽食を持ちこむか、食堂車で食事をする。駅構内のキヨスクで、パン、バナナとコーヒー、クッキー、チョコレートなどを詰めたランチ・ボックスを売っていることもあるが、日本の駅弁の多様性にはおよびもつかない。 

 駅弁は弁当の一種であるが、日本以外の国では携帯食である弁当そのものが発達しなかった。  たとえば、かってのフランスのホワイトカラーたちの昼食は、レストランやカフェ、社員食堂で時間をかけてコース料理を食べるのが普通であった。容器にパンや果物などをいれて持参して、昼食をするのは、肉体労働者の食事というイメージがあったようだ。

 日本では、平安時代に「頓食(おにぎり)」や「干飯(ほしいい)」という携行食があったことが記録されているが、現在の駅弁の祖先にあたるものが出現するのは安土桃山時代のことである。

 この時代になると、花見や茶会に漆器の弁当箱に飯やおかずを詰めて食べるようになった。江戸時代初期にイエズス会の宣教師たちが編集した『日葡辞書』にはbentoということばがあらわれる。

 江戸時代後期になると、料理屋がつくる俵形の握り飯と各種のおかずを詰めあわせた弁当で、芝居の幕間に食べる「幕の内弁当」が出現する。現在の駅弁にも、「幕の内弁当」の系統を引きついだものがおおい。

 駅弁の歴史については諸説あるが、明治18(1885)年に宇都宮駅で握り飯二個とたくわんを竹の皮に包んで売りだしたのが最初であるという。現在のような折り詰めの駅弁は、明治23年に姫路駅で、飯の折り詰めとおかずを詰め合わせた折の二段重ねの弁当にはじまるそうだ。

 鉄道網の発達とともに、各地の名物料理を売りものにした駅弁がつくられるようになった。現在の日本には二千種類以上の駅弁があるという。駅弁を食べることによって「食の日本旅行」ができるのだ。

 魚料理、肉料理、野菜や海藻の料理などが詰まった駅弁は栄養にもよいし、折りのなかに仕切りをして、さまざまな形や色彩の料理を盛りあわせた折詰め料理は美的でもある。おなじ駅で売る駅弁でも、季節によっておかず料理が変化する。

 こうしてみると、幕の内弁当スタイルの駅弁は日本の食文化を折詰めに凝縮しているといえよう。そこで近頃の欧米では、駅弁が注目されるようになった。

 パリのリヨン駅では、期間限定ではあるがフランスの国鉄とJR東日本の共催で日本の駅弁の販売会が開催されたし、イタリアの高速鉄道では、日本の駅弁を参考にしてランチボックスを食べることができるという。