Productions 『vesta』掲載
おすすめの一冊

危機の時代 料理家の群像──台所からみる戦争と社会

西川和樹
vesta142号掲載

戦争の時代、「料理家」の個人史

 

アジア・太平洋戦争の時代の「料理家」の個人史を扱った労作である。その大きな特徴は、主な対象となっている4名の「料理家」のうち、2名が「栄養」を普及した人物だということである。具体的には、香川綾(栄養学者、女子栄養大学学長)、近藤とし子(栄養士、栄養改善普及会会長)である。これまで、「栄養」という医学・生理学を基礎とした「知」と、「料理」というプロの料理人の技や文化を中心に発展した「知」は、それぞれ食に向けるまなざしや歴史が違うため、特に歴史的な研究では別に扱われることが多かった。これを本書では区分せず、「料理家」としている。

歴史的な「料理家」といった時に思い浮かぶのは、湯木貞一(吉兆)のようなプロの「料理人」であろうが、4人のうちの後の2名は田中米(香川綾の叔母・女子栄養学園「日本料理」講師)と、東佐与子(日本女子大学「フランス料理」教授)であり、いわゆる「料理人」はいない。このように本書は独特の「料理家」カテゴリーを扱う点に注意が必要である。

西川氏は本書を通して「「料理家=セレブリティ」という枠組みを問い直」すことを掲げている。しかし、これまでの研究史において「料理家=セレブリティ」という枠組みはあったのだろうか。例えば、本書でも挙げられている、メディア研究領域におけるセレブリティ・スタディズ(英語のcelebrityには日本語のセレブのような金持ちという意味はなく、「有名である」ことを指す)とは、料理研究家を含め、なぜ特定の人物が高い人気や知名度を獲得し、他の人物はそうでないのかを社会的・政治的・文化的な視点から問うものであり、「料理家」と「セレブリティ」を等価に結ぶようなものではないだろう。

 ちなみに本書で「料理家」とは、「食の知識、技術、経験を活動の根拠として、料理記事や料理書の執筆、実技指導、教育活動等を通して社会的な活動に携わる存在」と定義されており、西川氏は4名の人物を「料理家」とまとめることで、最終章で「台所保守の思想」を論じる。また総力戦体制期において「栄養」は重要な役割を果たしているが、本書は「栄養」をめぐる政治や社会の構造ではなく、あくまでも「実存としての料理家の存在」を問うことを主眼としている。そして、料理家とは「料理を通して人と人との関係を広げ、料理を分かち合うことによって世界をつくり出す存在」「問いを抱き続ける者」「料理を通して「他者に出会うための円環運動」に自らを曝す存在」だとする。こうした表現から、評者は、西川氏の関心は歴史学や社会学的なものというよりも、文学・思想や文芸評論に近しい立場から独自の「料理家」論を展開することにあると感じた。

各章では、膨大な資料をもとにそれぞれの個人史が書き上げられており興味深い。特に評者が関心をもったのは、日本女子大学の教授であった東佐与子である。料理への妥協なき姿勢と多くの者に感銘を与える調理技術は、信奉者とともにそれ以外の人物との確執を生み、「パラノイア」として研究室から精神病院へと強制入院されてしまう。これが人権侵害として衆議院の法務委員会で取り上げられていく過程が、本書では一次資料をもとに丹念にたどられている。敗戦後の新制大学化をめざす学校との対立も興味深いが、徹底した料理道の追求や学生との「研究を媒介とした深いつながり」が丁寧にすくいとられている点に筆者の力量を感じた。

佛教大学 社会学部教授 村瀬敬子