ビールで乾杯する酩酊先生

 カンパイをしめす「乾杯」・「干杯」という漢字は、もともとは「一杯の杯の酒を飲み干す」ことを意味した。そこで酒宴の席で、自分の杯に注がれた酒を一口で飲み干して、杯を空にすることをカンパイと表現したのである。

 中国でガンベイ(乾杯、干杯)といったら、アルコール度数の高い蒸留酒である白酒(バイジュウ)などを小さな杯にいれて、酒席を共にする二人の間で一気に飲み干すことであった。そこで、乾杯のあとに杯を傾けて底を見せたり、逆さにして、飲み干したことをしめすことがおこなわれた。

 参加者全員がいっせいに杯をあげ、同時に飲むことを「カンパイ」というようになったのは、中国でも「洋酒」を飲むようになってからのことである。

 ワイン、ビール、ウイスキーなどの欧米の酒である「洋酒」が日本で飲まれるようになったのは、明治時代以後のことである。

 日本の伝統的なアルコール飲料である日本酒は、陶磁器製の徳利と小さな杯で飲まれていたが、洋酒はガラス瓶にいれて、ガラス製のコップやグラスに注ぎ、燗をせず、冷たいまま飲む酒とされるようになった。そこで、洋酒をいれたガラス器を一斉にさしあげて、カンパイをすることになった。

明治時代の宮中のパーティーでは、シャンパンで乾杯することがおこなわれたが、民衆の乾杯用によく用いられたのはビールである。

 明治時代以後、ワイン、ウイスキー、ブランデー、ラム、ウオッカなど、さまざまな種類の洋酒が日本で製造販売されるようになった。なかでも、はやくから国産化されたのがビールである。

 明治時代の初期から日本でのビールの製造がなされるようになり、二〇世紀初頭になると、ガラス瓶にいれた国産のビールが、安価で入手できる大衆のアルコール飲料として普及した。

 ビールは兵士たちがよく飲む酒であった。兵営(軍隊の駐屯地)や軍艦で営業する、兵士たちの日用雑貨の売店を酒保(しゅほ)という。明治一〇年代の終わり頃から、ビールは酒保に欠かせない商品とされるようになったそうだ。

 集団生活を旨とする兵士たちは、好きなときに、好きな酒を一人で飲むのではなく、定められた飲酒時間に、酒保や食堂で入手できるアルコール飲料を同僚たちと一緒に口にする。

 そこで兵士たちは、屋外の立ち飲み会場で、ビールをいれたコップを、目の高さまで揚げて乾杯をすることがよくなされたようである。

 明治時代の兵士たちが乾杯をするときの音頭は、「カンパイ」ではなく、「バンザイ(万歳)」 というかけ声であったそうだ。

 「カンパイ」というかけ声は、大正時代初期にはじまり、昭和の初期から民衆にも普及するようになった。

  ビールに限らず、世界中の酒が日常的に飲まれるようになった現在の日本では、ワインやウイスキーを口にするときも「カンパイ」というようになった。「洋酒」にかぎらず中国酒や朝鮮半島の酒など、酒宴の卓上に置かれた酒のすべてが乾杯の対象とされ、ガラス製の酒杯にこだわることもなくなった。

 日本酒も乾杯用の酒とされるようになり、二〇〇四年、日本酒で乾杯することによって日本文化を考えようという趣旨で酩酊先生を役員代表とする「日本酒で乾杯推進会議」が設立された。そして二〇一五年から一〇月一日の「日本酒の日」に「全国一斉 日本酒で乾杯!」というイベントも行われるようになった。

 また全国で百四十の自治体が、公的行事の酒宴には地酒で乾杯をおこなうなどの条例を制定した。

 「日本酒で乾杯推進会議」は、その役割を終えたので解消したが、その事業は「日本酒造組合中央会」に引き継がれている。

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