酩酊先生が毎日出勤している石毛研究室という仕事場には、料理を温める電子レンジと、茶を飲むための湯沸かし以外の調理器具は置いてない。
料理好きのわたしのことである。研究室に台所をつくったら、仕事をほったらかして、長時間かけて昼食つくりを楽しむにきまっている。
そんなことで、ときどきスーパーで買ってきた弁当や料理を温めて研究室のベランダで食べるほかは、わたしの昼食は外食である。
月に一度くらい訪れる行きつけの食堂が四軒ほどあるが、知らない店を開拓してみたいわたしのことである。昼飯前になると、コンピューターでまだ行ったことのない食堂を探す毎日である。
自宅や研究室のある大阪近郊の茨木市には千軒以上の飲食店がある。そのなかから、そのとき食べたい料理にあわせて、「和食喫煙可」とか「イタリア料理喫煙可」といったキーワードで検索をし、該当するカテゴリーの店のメニューや値段を調べて、昼食に行く店を決めるのである。
食堂で食事を注文してから、料理が出てくるまでの待ち時間にタバコを吸い、タバコがおいしい食後の一服を楽しむために、わたしは、「喫煙可」という条件をつけて、昼食に行く食堂をさがすことがおおいのである。
こんなことをしていると、昼飯の食堂をきめるために、三〇分くらいコンピューター検索をするし、見つかった食堂が遠いと、片道三〇分くらいかけて、たどりつくことになる。そして、食堂で酒を飲みながら食事を楽しむと、一時間近くかかってしまう。となると、昼食のために二時間半くらいの時間を費やすことになる。
それは時間の浪費である、といわれるかもしれない。しかし、「生きるために食べるのではなく、食べるために生きている人間」であるわたしにとって、昼食は日常生活における重要事項なのだ。
民謡の「会(あい)津(づ)磐(ばん)梯(だい)山(さん)」の囃子詞(はやしことば)で「小原庄助さん 何で身上潰した 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上潰した ハァ もっともだ もっともだ」という。
朝寝と朝湯が大好きなわたしではあるが、朝酒だけはしない。しかし、昼食と夕食に酒を欠かすことはできない。
日本では、日常の昼食に酒を飲むことはしないのが普通である。しかし、ヨーロッパでは、ワインやビールを少量飲みながら昼食をとる人がおおい。午後からも仕事があるサラリーマンに食事を供する社員食堂でも酒を供してくれるのが普通だ。ただし、アメリカでは昼酒を禁じる会社がおおいようだ。
わたしの行きつけの食堂の一つに、安価なイタリア料理のレストランがある。ここではスープと少量のサラダがついたランチが五百円で食べられる。イタリア産の赤ワイン、白ワインのグラス一杯が百円で、二五〇CC入りのデカンタが二百円である。ここでランチを食べるとき、白ワインのグラス一杯と赤ワインのデカンタを一つ注文することがおおい。
普通のレストランや食堂では、ワインは高価なので、昼食のさいは生ビールの中ジョッキ、日本酒、焼酎などを注文する。
和風のおかずを肴に日本酒を飲むとき、冬は冷酒を注文することもあるが、熱燗にくべると飲むピッチがはやく、一合ではすまなくなることがある。
焼酎をストレートで飲むことはない。水割り、お湯割りで飲むことが多い。わたしの嗜好では、焼酎のお湯割りがよくあうのが中華料理である。
昼酒を欠かしたことはないが、おいしく食事を楽しむために飲む酒なので、酔うほどを飲むことはない。
研究室に戻ってきたら、タバコを一本吸ってから、机の前に座って仕事をする。そして、晩酌を楽しみに帰宅するのである。