Washoku 「和食」文化の保護・継承活動の報告コーナー

『和食の無形文化遺産化;意見交換会』に密着 その2

2013年06月21日(金)

REPORT

「『日本食文化ナビ』に注目。農水省の食文化施策に質問も続々」

満を持して、農水省食ビジョン推進室久保田一郎室長の登板だ。

まずは推進室の位置づけや仕事について触れた後、沖縄出身と自らを紹介、ふだん男性相手にお話しするので女性の皆さんを前に若干緊張気味と告白。さもありなん。学生対象に教室で講義するのと違って、ロの字に配置された机を囲み、実践豊富な面々17人(*)の真剣なまなざしが注がれている。近いし強いぞ。

(*宮城県亘理町から3名、山元町から4名、福島県新地町から5名、南相馬市から5名)

 

メインテーマの一つである「日本食文化のユネスコ無形文化遺産登録申請について」から、久保田室長の話は始まった。そもそも、食ビジョン推進室が無形文化遺産化とともに立ち上げられた部署であり、大きなミッションだと前置きし、ユネスコ無形文化遺産とは、登録を目指しての経緯と申請の概要、さらに可否決定までのスケジュールと話は進む(無形文化遺産と申請内容の和食については、すでに取り上げたので、そちらを参照ください。スケジュールは、別の機会に詳しく報告します)。

 

取り組みとしては、昨年(2012年)日本中でシンポジウムを開き、今年も夏から秋にかけて全国8ブロックで開催予定とのこと。そこで、室長いわく、「シンポジウムを聴くまでは、皆さん『商売繁盛』につながるんじゃないかという期待もあって応援したいと言われるが、この話を聴くとがっくりされるんです」。輸出振興や観光誘致に結びつけるものではなく、ユネスコ登録にとって商売は禁物と。ユネスコというとどうしても海外に向けての発信ととられてしまう。もちろん、世界の方に理解してもらい無形文化遺産保護の重要性を示すための登録だから、その面の意義はある。しかし自分たちは、よりいっそう国内に目を向け、むしろ日本人自身が日本の食文化を見直し、根っこにあるものを自覚して大事にしていくきっかけにしたい、と。それでないと、肝心の日本が空洞化し、本物として残っていかない、と。この危機感は、3月のシンポで熊倉先生も語られた、登録申請を目指した運動のおおもとにあるものだ。それは、登録の可否にかかわらず、持ち続けなければならない問題意識でもある。

「『自分たちが誇れる日本食文化』をしっかり自覚して進めていく、そのために作ったのがこれです」。次いで、農水省が取り組む食文化施策のナンバー2『日本食文化ナビ』にテーマは移った。この会には、いますぐでも『日本食文化ナビ』を活用し、「食文化で地域が元気になるために」働く力をもった方たちが集結している。おのずと室長の声にも力がこもる。(ということで、ナビに注目して取り上げてみます。)

 

このナビは、ユネスコ無形文化遺産への登録申請と同時に、並行して検討会が立ち上げられたのだという。「食文化を活用して地域活性化につなげるヒントを探ろう」という目的で、竹村真一(京都造形芸術大学教授。かの竹村健一氏の息子さんだという)座長の下、農業振興(?)、まちづくり、観光、コンサルティングなどの専門家をメンバーに組織され、侃々諤々の議論が重ねられた。

日本の中で、食文化を中心に地域振興を図った先行事例を検討(福井県小浜市/岩手県一関市/久慈市/宮崎県西米良市/石川県など)し、さらに海外の事例も研究(フランスの「味覚の一週間」、イタリアのスローフードなど)。たとえばイタリアでも、日本と同じように中山間地問題を抱え、農村の疲弊に苦しんできた。そこで地域の食材を見直し、農家を大事にして地産地消を進める中でスローフード運動も生まれてきたのだという。それらを参考にマニュアル作りを行い、誕生したのが『日本食文化ナビ』。

 

ずばり、「『気づき』から始める」。

政府や行政など、上から押しつけるのではなく、住民自身が地域を顧み、気づき、それを共有して活性化に結びつけていく、そのためのツール。「皆さん、ヒントになるパーツパーツは思い浮かべていても書き留めないから忘れてしまう。だから体系的になっていかない。体系化されないから、次の行動につながらない」。「あえて書き留めて、行動につながるものを作ろう」と。「サイズが小さすぎるという声もありましたが、コンパクトにして鞄に入れて持ち歩き、いつでも取り出しメモできる、そういうものを狙ったんです」。

 

室長は冊子を開きながら、具体的な説明を開始。

1ページ目は、もしかしたら皆さんの地域の取り組みはこんな状況になっていませんか? という問題例。「インパクト重視・地域食文化ないがしろ型」は、観光名物で注目を集めはしても、「地域の食文化と無関係・食材へのこだわりなし」でNG。「素材は地元産・加工は外部委託型」は、「地域で高付加価値化できず(地域の産業に結びつかない)・こだわりポイントの見える化ができておらず」NG。「地元住民は蚊帳の外・地域に根付かない型」は、「地元住民が触れる機会がなく」NG。

では、どうしたらいいのか。

3~4ページには、【視点0】から【視点5】までの、ポイントがまとめられている。(『日本食文化ナビ』については、http://www.maff.go.jp/j/study/syoku_vision/manual/index.htmlからダウンロードできます。ぜひ皆さんも見て、活用してください。)

さらに具体的に詳しく、5~7ページへ進もう。

 

「当たり前」をリセットする

【視点0】「地域の食文化の重要性への気づき」

 食文化で地域を活性化しようと考えたきっかけは? などなど問いかけの形。自分たちで自問自答してみよう。

 

食文化を新たな視点で発見し、新たな価値を付け加える

【視点1】「『食』のプロセス全体へのまなざし」

どこから来た食材か、原材料の調達から、伝統野菜の復活など在来品種を見直したり、地域加工などの高付加価値化、プロセス見える化の工夫は?

 

【視点2】「地域食文化のクリエイティブデザイン」

食にまつわるものがいろいろある(地域の自然や景観、環境、行事)。その価値に気づき、活かしているか?

 

【視点3】「食文化全体のイーティングデザイン」

日本人には当たり前の「いただきます」「ごちそうさま」も、海外からみたら素晴らしい食文化。また日本的な「おもてなし」の心をどう取り入れ、食器、しつらえ、空間をどう工夫しているか?

 

外からの視点を入れて、さらに進化する

【視点4】「国内外のマーケットの中での価値」

自己満足に終わっていないか、外の人に見てもらい意見を聞く度量をもつこと。情報発信し、評価を受ける工夫もしているか?

 

ふたたび地域に落とし込む

【視点5】「食文化の共有と継承のための仕組みづくり」

地域に食文化が根付き誇りとなるよう、どう共有を進めているか? 特定の店とか開発した人ではなく、学校やNPO、地域のさまざまなつながりを活かした取り組みは?

 

そして、【視点5】から、【視点0】にフィードバックされ、より充実した取り組みとなり、地域が元気になっていくと。聞けば、当たり前の話だけれども、意外と忘れてしまいがちなものなんだと、久保田室長は強調する。確かに、簡単と思っても実行は難しい。まずは、『ナビ』をバッグに携行し、気づいたときにメモる。そこから始めようっと。

 

室長のお話もクライマックス。「平成25年度 食文化に関する施策の概要 農林水産省」という綴りを開き、ユネスコ、ナビに続き、「食のモデル地域育成事業」という予算事業(1事業主体当たり上限1000万円、50地域)や、フード・アクション・ニッポン アワードという顕彰事業など、さらに2015年ミラノ万博など海外発信への取り組みも紹介して、締めくくった。

 

続いて、参加の皆さんから質問の手が挙がる。

質問「食は、生きるために大事で、日本食の登録への動きはむしろ遅いんじゃないか」

室長「条約そのものが新しく、行政としてもようやく食文化に目がいくようになった段階」

質問「自分のところも流されたが、震災の漁業被害は大きい。かつて荒巻鮭(塩にしてムシロで囲って)をくれた漁師さんたちが、今仮設でどんどん弱っていく。荒巻は粕煮にしたり料理法もいろいろあった。このままでは教えてくれる人もいなくなってしまう」

室長「それこそ、ナビに書き留めてもらって、世代が替わったら消えてしまうことがないように」

質問「本当に日本の食料は足りないのか? じっちゃん、ばっちゃんの小さい農業でも、地場産市場で売れている。昔ながらの農業でもいい作物ができ、健康長寿につながる。もっと大事にしては」

室長「自給率は、贅沢指数ともいわれる。今の日本人の食生活を維持しようとしたら50%がやっとの計算。でも、地域産を地域で食べたら違う数字が出るかも。じっちゃん、ばっちゃんの農業の良さは、見えるようにしないと見えない。見える化してアピールを」

質問「家庭での伝承も、今核家族化と欧米化の中で難しくなっている。食文化は、もともと地域にあったものを使って成り立ってきたが、震災後、食の安全が第一優先になってきた。新しい食文化をつくるのも、手を加え、意識を向上させるのにも、正直資金がない。食のモデル地域事業に挑戦したい」

質問「亘理町でも『はらこめし』とか、食文化を伝えてきたつもり。今は鮭自体が手に入らない。風評被害は深刻で魚の値段は10分の一以下ともいう。筍も椎茸も、地場のものはダメ。これでは、食文化を伝える手前で、素材そのものがない。郷土料理はいっぱいあっても、仮設の狭い台所では作るのもままならない。底辺が一番大変で、それからの食文化じゃないか。でも、仮設のじいちゃん、ばあちゃんも、味の素さんの協力の会は楽しみにして杖をついても出てくる。2カ月に一度、3カ月に一度でも、涙流して喜んでいる」

室長「返す言葉もない。風評被害のことは、部署は違うが国内はもとより海外に向けてもいろいろ発信しているが、理屈じゃないところもあって。よりわかってもらえるようにやっていきたい」

(その3へ続く)