Washoku 「和食」文化の保護・継承活動の報告コーナー

『和食の無形文化遺産化;意見交換会』に密着 その4

2013年06月21日(金)

REPORT

第2部 活動報告会 午後の部

「地域を支える確かな活動、震災・原発事故後の困難を越えて―食改さんが担う食文化」(2)

お昼をはさんで、報告会も後半の部が開会。

◆被災のなかで強く実感した「食は命をつなぐもの」:山元町

3番目の発表となったのは、宮城県の山元町。保健福祉課の佐藤睦美さん(管理栄養士)、食生活改善推進連絡協議会会長の木村マキさん、副会長の阿部和子さんと野村昭子さんが参加した。報告者は木村会長だ。

山元町は宮城県南部に位置し、16000人以上だった人口は震災で632名が亡くなり、引っ越す人もいて3000人ほど減った。会の設立は県下でも早く昭和39年、124名の会員を擁する。大人数のため最近は2つのグループに分かれ、成人グループがメタボ予防活動に、母子グループが子どもの心と体の健康づくりに取り組む。

 

具体的な活動紹介は、まず震災前から継続しているものから。

ずいぶん昔からやっているという「育児健診での食育」、体にいい手作りおやつを提供したり、2歳6カ月児を対象にしたミニシェフクラブも。各学区で行ってきた「小学生親子食育教室」は、津波の被害で沿岸部はいま実施できない状況だ。子どもたちは料理が好きで楽しそうに参加するが、親の方が忙しくて家庭で手伝いをさせないという。これってどうなの? 忙しいほど手伝いは助かりそうだけど、今の子どもに教えるのは返って面倒ということなのか? 

「小学校での郷土料理体験」は5年生が対象、10月に鮭を丸ごとさばくところから始める、はらこ飯とあら汁作りだ。さばき役は漁協の男性、見つめる子どもたちはキモイとか言いながらも上手に料理し、お替わりもする。夏休みに実施する「幼稚園親子クッキング」も大好評と。

男性の食の自立をめざす「男性料理教室」は、終わっても楽しくて毎月やって欲しいと要請があるほど。高齢者に元気で長生きしてもらうように行政区ごと、役員や民生委員などと一緒に行ってきた「地域支援ネットワーク」だが、津波で流された会場も多く、実施できないところもあるという。

「特定健診会場での展示」は、毎年秋、会場の一角に食改コーナーを設けて行う。さらに「食育フェア」は、11月23日、町のふれあい産業祭と同時開催だ。仙台鍋まつりに初参加するとき町の依頼で食改さんが考案した鮭のつみれ汁の試食、常備菜の展示やおやつ作り体験コーナーなど。去年やったという野菜釣りゲームも愉快だ。350gになるよう、切った野菜を釣るんだって。今年も11月23日、ぜひ山元町に来てとアピールも忘れないぞ。

 

次は、震災後の活動の紹介だ。

まず「避難所での炊き出し」。3分の1の会員が被災したが、その日の夜から炊き出しに参加した会員も多く、ずっと続けてきた方も多数いる。町から正式に依頼されたのは5月1日から18日まで、防火クラブと一緒に毎日昼夜1000食、量の多さに驚きながらも当番を組んで夢中でやったと。これは並大抵じゃない。

「郷土料理を県外からの派遣職員へ“やまもとランチ試食会”の開催」も胸に響く実践だ。山元町の復興のため応援に来てくれている職員の人たちは現在でも90名以上、単身赴任で自炊の人はほとんどいない。年に3回、郷土料理を作って皆さんをもてなす。食事の時はグループをつくってその輪に食改さんも入り、全国からの職員さんに、それぞれの郷土料理を教えてもらうのも楽しいそうだ。

 

「仮設住宅『簡単クッキング教室』」は、一番大きく変わった点という。仮設は狭い4畳半の端に台所というような状況で、女性たちも食事を作る意欲を失っていた。そこで食改さんは立ち上がり、10月から8カ所の仮設で月2回行った。24年度からは1回になったが、年に8×12カ月=96回。器具一切を保健センターから運び込むので大変でも、集会所に出てきてもらい被災者に元気になってもらうことを目的に、今ではすっかり定着した笑い声の絶えないサロンになっていると。会員から協力者を募り、3人一組。当番の時には、町外のみなし仮設に住む会員も山元町に来てくれるという。厳しい環境でさらに堅くなった食改さんの絆も感じる。

「多くのことを学び、『食は命をつなぐもの』と今更ながら強く感じた震災だった。1年すぎて、活動を形に残したいとこれ(同名のパンフレット)を作った。これからも町民が健康にすごせるよう健康推進ボランティアを継続していきたい」と木村会長は締めくくった。

ちなみに山元町にはもう1つ、町が作った記録誌がある。『「食」から生まれた「絆」の記録2012』、今年3月の刊行だ。それぞれ表紙部分を写真としていれる?

 

質問コーナーも盛り上がった。

Q予算や材料費は? 炊き出しも、町の要請がないと行くのが難しくないか。町自体の姿勢の違いか。

A炊き出しは町に依頼されたのは5月だが、当日から自発的に加わり中心的な役割を果たした。親子食育教室や幼稚園でのクッキング、男性の教室は参加費300円で、超過分は町からもらう。郷土料理体験は町の予算。仮設の簡単クッキングは、24年度は県の助成で無料だったが今年から100円もらい、超えた分は町から。

(行政の立場で補足)山元町は規模の割に食改さんが多く、育成にも力を入れている。他の女性組織がほとんどなく、活発に活動している食改組織に町として食育事業を依頼している形。予算は町で活動は食改さんでと。食改さんも会費を払っていて、活動には頭が下がる。

Q会員数が多いのはなぜ?

A2年に1回、町に養成講座を開いてもらう。30人くらいずつ、若い人から高齢者まで年齢層は広い。入会しても、介護などさまざまな事情で活動できない人もいるが、席はおいてもらい、やれる時期がきたらということでゆるやかにやっている。

◆震災・原発事故で分断された地域・家族、一変した活動:南相馬市

しんがりは、福島県南相馬市。参加したのは市の健康づくり課から菅野美紀子さんと長澤陽子さん、食生活改善推進連絡協議会からは、会長の渡辺純子さん、副会長の鈴木ゆり子さんと豊沼直美さん。渡辺会長が語り始めた。

南相馬市は平成の大合併で、小高町、原町市、鹿島町が一緒になってできた。大震災のとき原発から20km以内の小高は避難を余儀なくされ、原町は緊急時避難準備区域、30km以上の鹿島は避難をしなかった(自主避難はあるが)。「国がそう決めた」。現在でも小高は、電気が通っても生活できる状態ではない。震災と原発、比べるわけじゃないが、両方を受けて復興にはほど遠い、と。

そうなのだ。震災後、「これでは兵糧攻めだ」と市長がネットで世界に訴えたのが南相馬だった。30km圏が屋内退避となり物流が滞った時だ。その後も繰り返される避難指示の線引きに翻弄され、分断され続けている。

 

会員は平成12年からボランティアとして活動、震災前の77名が52名になり、小高の会員は全国に散らばっている。震災前と大きく変わったのは、子どもたちへの活動だという。72000ほどだった人口は、今も戻らない人が2万人弱いて、小学生では5割弱しか戻らず、中学生でも5割ちょっと。夏休み・冬休みとずっと続けてきた小学生の料理教室も、離乳食作りも、これまで担当してきたものができなくなった。「やっぱり ごはんとみそ汁」、朝食推進事業として食改さんが作ったというチラシはイラストもふんだんに入って明るく楽しい。子どもたちへの授業に使ったもの。煮干しでしっかり出汁をとって作るみそ汁は、健康とともに食文化の伝承でもあった。他地域と同様、健康福祉まつりにも取り組んできた。それが今は……悔しさがにじむ。

南相馬でも震災の後、早く戻った人を中心に食改さんも市内4カ所の避難所で野菜主体の食事を提供してきた。そして、震災後の活動の主要テーマの1つになったのが「放射能」だ。放射性物質を減らす調理法、食品検査、放射線と健康など、研修会で継続して学ぶ。配られた資料の「『快食快便』のすすめ」も、ただのそれじゃない。入れない! 負けない! さっさと出す! と、「放射線に負けない丈夫な体をつくろう!」を提唱、「ま・ご・わ・や・さ・し・い」、日本の伝統的食材を生かした食生活が役立つことを調理実習も交えて伝えてきた。風評被害はもちろん、皆さんがさらに切実な状況に直面してきたのだと、今更ながら感じました。

仮設住宅は全体で30余あり、味の素さんの協力で去年1月から料理教室を実施、月2回行なっても1年で回りきれないほどという。震災後、カップ麵とかコンビニ弁当など、すぐ食べられる(しかし味の濃い)食品を摂ってきたこともあり、高血圧など健康を害している人がかなり多く、料理教室では薄味を実践、食改さん考案の簡単レシピが喜ばれているとのこと。

 

震災後の活動では、「みなみそうまチャンネル料理番組」も紹介。食改さんと栄養士さんがペアになり、郷土料理や見てすぐ作れる料理を収録し、1週間のローテーションで流す。「食改さん、普通のおばちゃんが元気にテレビに出るって全国でも他に1カ所くらい。地域の皆さんに見たよって声をかけられ、とても喜ばれています」渡辺会長の声も自信に満ち嬉しそうだった。

箸より重いモノを持ったことがないという人まで集まるのが男性のための料理教室は依頼事業だ。津波被害に原発が加わって家族の形態が変わり、男性の一人暮らしが増えた。食事の問題は切実で、みそ汁とお浸し、ちょっと魚といったごく簡単な料理を学ぶ。でも徐々に意欲を持ち、より美味しくと出汁を取り、一人でも料理できたという話を聞くと、食改の活動の広がりを感じるという。

「家族バラバラ」というのが、南相馬市の現実。だからこそ、25年度の活動テーマに「家族ぐるみの食育」が掲げられた。食育の基本となる家庭での食の伝承が困難な状況の中で、食の楽しさ素晴らしさを実感し、ふれあいを通して家族の絆を深めることを目的とする。親子(父と小学低学年)、孫(就学前)と祖父母、夫婦の3回が企画されている。

 

厳しい内情も吐露された。食改はボランティアだが、今までは市からある程度の活動資金がもらえた。震災後は一切それがなく、残金と会員の会費で賄っていると。だから農水のモデル事業の1000万円にはぜひ応募したい。ヘルシークッキングやメンズクッキングは参加者に200円負担してもらい、会員は隣町の会場への移動も乗り合わせて行くなど節約を欠かさない。そして、自主研修の成果を地域に伝達していると語られた。

 

質問タイム。

Q資料でもらったレシピはカラー印刷で、お金がかかっていそうだが。

Aきれいなレシピなど、すべて震災前に作ったもの。3月11日の前にほぼ完成し震災で本刷りができず、頭に「がんばろう! 南相馬」と加えて夏にできたのもある。捨てられないように「もらってありがたいチラシを作ろう」と、震災前はカラーで厚紙にして作っていた。今は本当にお金がなくザラ紙に白黒になっちゃった。

Q会費はいくら? その中からこれを作ったのか。

A年2000円。前は助成金があったが、今はいくらいっても一銭もくれない。こんなに頑張ってるのに。

Q依頼事業と自主活動に同じような名前がついているが。それぞれの募集方法も合わせて。

A自主活動のメンズクッキングは広く市民が対象で、広報で知らせる。依頼の「男性のための~」は被災して仮設や一人暮らしになった方が対象で、社会福祉協議会の方が呼びかける。口コミでも。(その5に続く)