生業社会の食生活(2)梅崎昌裕

パプアニューギニア高地のブタ

特別な食べ物
私が調査したパプアニューギニア高地のタリ盆地でごちそうといえば、ブタをおいて他にはない。それは「人前で自分だけが食べると、皆の羨ましいという気持ちのためにおなかが痛くなり」、「ブタを食べている場にたまたま出くわした人にも必ず分配しなければ、その人の恨みをかう」と形容される特別な食べ物であり、ふつうは自分の家で、こっそり食べるものである。
 
ブタ肉を食べるチャンスはそれほど多くはないが、それは突然やってくる。よくあるパターンは、以下のようなものである。夕方、私が調査をおえて、子供たちとぼんやりたき火のそばに座っているとする。今日は、一緒に暮らす男たちの帰りが遅いなと思っていると、日も暮れて暗くなるころに彼らが戻ってくる。「遅かったね、どこかに行ってたのか」と聞くと、男たちはおもむろにバッグや上着のポケットのなかからブタ肉をとりだし、すこし得意げな笑いをうかべる。たいてい、ブタ肉は食用のシダと一緒にバナナなどの葉っぱに包まれている。
 
そうやって家に持ち帰られたブタは、持ち帰った男がその場にいた全員に分配し、たいていの場合は、塩もつけずに食べてしまう。薄切りではなく、かたまりで食べることもあるのだろうが、食感としては日本の鶏肉の歯ごたえを良くしたような感じで、肉汁にこくがある。塩をつけなくても、塩味を感じるほどにうまみが強い。ブタを食べるときには、おいしさの表現として、自分の耳たぶを引っ張りながら首をすくめて「テンデビ!」という。
 
東京のスーパーで一般に売られているブタ肉とは異なり、パプアニューギニア高地のブタ肉は「皮付き」である。調理の際に、体表の毛を火で焼ききるために、皮はこんがりと焦げている。子豚は皮がやわらかくて薄いので、肉と皮を一緒にたべて、もちもちした食感と風味を楽しむ。大きなブタの皮は、厚く固いので、肉から切り離して、サツマイモとともに食されることがおおい。灰で焼いたサツマイモを右手にもち、ブタの皮を左手にもって、皮をちびちびとかじりながらサツマイモを食べる。ブタの皮目にある脂には独特の風味があり、甘いサツマイモとの相性は抜群である。日本でも、三枚肉をこんがり焼いて、焼き芋と一緒に食べれば、パプアニューギニア高地の味をそれなりに再現できる。
 
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食べたくても食べられない家畜
 
パプアニューギニア高地で、ブタに与える餌のコストと、ブタ肉として得られる食料を比較した研究では、効率を優先させるならば、ブタは生まれてから六ヵ月飼養した時点で屠殺して食べるのがよいと報告されている。私が調査をした村では、平均すると世帯あたり六匹のブタが飼育されていた。ブタは生後六ヵ月飼養して食べると仮定すれば、月齢の異なるブタ六匹を常時飼養している世帯は、一ヵ月に一匹のペースでブタを食べることができる計算になる。それを四世帯で互いに分配するとすれば、すくなくとも一週間に一回、一世帯あたり六ヵ月齢のブタの四分の一を食べることになる。
 
しかし実際には、人々がブタを食べる頻度と量は、この試算よりもはるかに少ない。よくて二週間に一回、悪ければ一月に一回もブタ肉が口に入らないこともある。この理由は簡単で、人々が六ヶ月齢をすぎたブタを、食用に屠殺することなくそのまま飼い続けるからである。パプアニューギニア高地において、ブタは育てて食べるだけの家畜ではない。
ブタ三〇匹の甲斐性
よく知られているように、パプアニューギニア高地では、ブタは婚資として使われる。男が結婚するためには、結婚相手の親族集団が要求する数のブタを準備しなければならない。村で生まれ育った女性と結婚するために男性が準備しなければならないブタは、二〇〇〇年頃の相場で約三〇匹、そのうち二〇匹は棒にしばりつけて二人がかりで担いでこなければならないほどの大きさのものであった。結婚相手の女性が大学を卒業し、会社で働いている場合には、教育を受けさせるために親が支払った学費や、女性が会社から受け取る給料などが勘案され、婚資として要求されるブタの数はずいぶん多くなる。
 
婚資のブタ全てを新郎が自分で準備するわけではない。婚資としてのブタの大部分は、新郎の親戚(男性の)によって拠出される。新郎に必要なのは、たくさんのブタを持っていることではなく、たくさんの親戚をもつことである。とはいえ、親戚であれば誰でもブタを拠出してくれるわけでもない。
 
親戚がけんかに巻き込まれた時には味方につき、結婚する際にはブタを拠出し、砂金を掘って金が儲かったときにはビールをおごるといった、ふだんのつきあいを大切にしていれば、その親戚はブタを拠出してくれるだろう。逆に、けんかがあっても見て見ぬふりをして、ブタは親戚の婚資ではなく自分たちの食用として使い、儲けたお金は全て銀行に預けてしまうようなケチな男には、ブタを拠出してくれる親戚はそれほど多くないはずである。結果的にケチな男がタリ盆地の規範のなかで結婚するのは難しい。要するに、結婚する男には、ある種の甲斐性が必要とされ、その甲斐性は親戚が拠出するブタの数で計られる。ブタ三〇匹分の甲斐性がタリ盆地で結婚できる男の最低ラインである。
 
このような状況では、自分が世話になった親戚が結婚する際に、婚資として拠出するブタがないことはあってはならないことである。できれば、棒にしばりつけて二人で担ぐくらいの大きさのもの、それがなければ子豚でもよいので、世話になった男の結婚にはブタを拠出するのが義理であろう。となると、ブタは大きくなったから食べるものではなく、親戚の結婚にそなえて飼うもの、しかもなるべく大きくなるまで飼うものとなる。
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命の値段
 
ブタがやりとりされるもうひとつの重要な場面は、争いの手打ちである。争いの理由は、自分の奥さんと仲良さそうに話していた男への嫉妬、断りもなく家の敷地に入ったことへの非難、ブタを盗んだのではないかとの疑惑、人が勝手に自分の植えた木を切ったことへの憤りなど、日常的な諍いである。しかし、争いの当事者である二人がお互いに譲らず、争いを続けると、それぞれをサポートする親戚が遠方より集まるので、争いの火はなかなか消えない。
 
もちろん、一方をサポートする人が一〇〇人いたとして、もう一方をサポートする人が三〇人しかいないような場合は、三〇人しかサポーターのいない方が譲歩して、相手側に二?三匹のブタを渡して争いは終結する。
 
ところが、双方をおなじくらいの数の親戚がサポートする状況になると、それはしばしば弓矢や散弾銃をもって戦う争いに発展してしまう。とはいえ、このような戦いでたくさんの人が死ぬことはまれであり、ふつうは双方の数名が亡くなるまで戦い、争いは手打ちとなる。
 
そこで大切なのが、戦争で死亡した人の補償としてブタを渡すことである。ここでも、争いの当事者が全てのブタを拠出するわけではなく、戦争に参加した当事者の親戚がブタを拠出する。二〇〇〇年頃、男一人が亡くなった場合の補償の相場は、棒にしばりつけて二人がかりで担がなければならない大きさのブタを九〇匹、そこまでは大きくないブタを一八〇匹であった。これは婚資よりもはるかに大きい数である。ブタは、死亡した個人の親戚に分配される。
 
こうして、誰かが結婚するたびに、そして戦争がおるたびに、ブタはこちらからあちらへと譲渡される。結婚や争いにかかわるやりとりをする場では、一部のブタが屠殺され、サツマイモや食用シダと一緒に石蒸し料理にされる。石蒸し料理のうち、サツマイモと一部の食用シダはその場で食べ、ブタと残りの食用シダは、その場にいた人々に分配され、家へと持ち帰られる。こうして、夕方、私のくつろぐ家に、ブタ肉がもたらされるのである。
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うまいブタの育て方
こういう話をすると、パプアニューギニア高地におけるブタは、人間関係の維持・調整のためだけに存在しているかのような印象を与えるかもしれないが、逆の見方をすれば、社会的制約のなかで食べる機会が制限されることによって、そのおいしさは特別視されることになり、大変なごちそうとしての地位を得ているとも考えられるだろう。
 
高地で暮らすブタの一日は優雅なものである。昼間は、サツマイモを収穫したあとの畑に連れていってもらい、そこでサツマイモのくずや地虫などを掘り返して食べたり、昼寝をしたりする。畑から自分の小屋に戻る途中では水たまりでぬた打ちをし、家に帰ると飼い主から餌のサツマイモをもらう。成長が早くなるからといって、わざわざ茹でたサツマイモを与える飼い主もおおい。餌を食べて満腹したブタは、飼い主のそばにごろりと横になり、おなかをなでてもらいながら、目をつぶる。このように育てられたブタがおいしくないはずはない。
 
しかも、そのブタは、飼い主が食べたいときに食べてよいものではない。食べるためには、結婚式や戦争の手打ちの機会を待たなければならず、そこで手に入れたブタは人前では食べることはできず、家に持ち帰れば、たまたまその場にいた私のような人間にも分配しなければならない。ブタを食べるまでのさまざまな困難こそが、そのおいしさを信じがたいレベルまで高めるのである。
 
実際、人々は、村のブタに比べれば、町のスーパーで売っているブタ(養豚業者に飼養されたもの)はたいしておいしくないと言うし、私自身も町で食べるブタは、所詮、ブタ肉であって、タリ盆地でたべるようなあこがれの食べ物とは違うように感じる。高地のブタの本当の味がわかるのは、タリ盆地に暮らし、その文化的修飾を体験してきた人だけなのである。

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