味のないダンゴ
サゴダンゴを思うたび、パプアニューギニアで調査を始めたばかりの、混沌とした世界に暮らしているような感覚がよみがえってくる。東セピック州にあるチェルプメルという村で生活を始めて一週間ほどすぎたころ、よその村からも大勢の人があつまり、大きなお祭りがあった。言葉もわからないころで、いったい何のために何がおこなわれているのか訳がわからなかった。
村の人々は、昼間は、村のあちこちでたき火をしながら、イモやバナナを焼いて食べ、ベテルナッツをかみながらおしゃべりをしていた。村の家は、広場を取り囲むように建てられており、広場の真ん中には大きな樹木の幹をくりぬいた長さが二メートルほどもある打楽器(ガラムートという)が置かれていた。男性がガラムートの表面とくりぬいた内側の部分を斧できれいに削りなおし、ときどき木の棒でガラムートを打っては、いい音がでるように調整をしていた。日が暮れると、村の小学校の先生がもっていた灯油ランプが灯され、あちこちでたき火がおこされた。しかし、その明かりが届く範囲はすくなく、広場はお互いの顔もよくみえない暗さだった。
誰が号令をかけるでもなく、ドンドンとガラムートが打たれはじめ、何となくという感じで人々は踊りはじめた。頭に羽をさしたり、貝殻の首飾りなどをした人もいるにはいるが、全体的には地味な飾り付けと振り付けで、映像資料でみたパプアニューギニアのシンシン(踊り)のイメージに比べると、ずいぶん「日常感」を感じさせるものであった。徳島の阿波踊りの映像をみて日本の祭りを楽しみにしていた外国人旅行者が、町内会の盆踊りをみたときのような感じだろうか。夜の八時頃から始まったシンシンは、夜中の一二時頃に私が寝袋に入った後もつづき、ガラムートの音と「アヤー」と拍子をとるのんびりした声が明け方まできこえていた。
翌日、ごちそうであるブタの解体がおこなわれた。ブタといっても、全身は黒い毛でおおわれており、みかけはイノシシそのものである。それは村に入ってから一〇日で初めての肉であり、私は分配された肉をすぐにガツガツと食べてしまった。あの肉は、それまでの人生でもっともおいしい肉だったと思う。
豚肉を食べ終わったころに、村のある女性が私の暮らす家にやってきて、バナナの葉で包んだダンゴのようなものをくれた。そのダンゴは、英語でサゴ、ピジン語でサクサク、チェルプメルの言葉でブロというらしい。すこし赤みがかった灰色で、寒天より柔らかく、ゼリーよりは固い。手にとって食べてみると、くさいにおいが鼻につく。味もなく、はっきりいっておいしくない。
こぶしほどの大きさのだんごが八つもあり、もらったものは残さず食べないと失礼であると信じていた私は途方にくれた。一生懸命がんばって、やっと一つのダンゴを食べたものの、残りのダンゴはのどをとおらなかった。
後になってわかったことでは、このとき、その女性は私が豚肉と一緒に食べるようにと、そのダンゴを持ってきてくれたそうだ。ふつうは、おかずもなしに食べるようなものではない、とも言われた。
サゴダンゴの作り方
この時のダンゴが、サゴ椰子からとったデンプンを材料につくったサゴダンゴであった。サゴ椰子は、高さが一〇メートルから一五メートル、育ち始めて一〇年ほどで一生に一度だけ鹿の角のような姿の花をさかせる。花をさかせる頃には、幹に大量のデンプンをため込んでいるので、人々はそれを食料として利用するのである。
サゴ椰子の花
サゴ椰子は半栽培・半野生の植物である。チェルプメル村の近くにある全てのサゴ椰子は所有者が決まっており、所有権は相続の対象ともなる。自分のサゴ椰子を確保するために、側枝を適当な湿地に植え付けることもある。しかし一方で、サゴ椰子に肥料を与える、周りの下草を刈るということはなく、基本的にサゴ椰子は勝手に生育する。半野生なので、天候不順には強く、干ばつで畑の作物が生育しないような時期にもサゴ椰子のデンプンだけは安定的に入手することができる。
サゴ椰子の髄を削る
サゴ椰子のデンプンを採集する作業は、男女のペアでおこなう。夫婦、父と娘、あるいは母と息子など、男性が切り倒し、幹の皮をはぎ、髄を砕く作業を、女性が髄を水でもんでデンプンを洗い出す作業をおこなう。サゴ椰子は水の多い土壌を好むため、その多くは湿地に生育している。葉には鋭いトゲがあり、幹は固い樹皮で覆われている。サゴ椰子を切り倒し、デンプンを取り出す一連の作業は、足場の悪い湿地での重労働である。デンプンはバナナなどの葉にしっかりくるみ、湿った環境のおくことで、数週間は保存することが可能である。
二本の棒をつかってサゴダンゴを丸める
チェルプメル村での、サゴ椰子のデンプンの基本的な調理法は、ダンゴにすることである。スープに片栗粉をいれるととろみがつくように、デンプンは熱いお湯のなかに入れると糊化する性質をもっている。チェルプメル村では、サゴのデンプンに沸騰した湯を加えて糊状にする。それを二本の棒をつかってすくい上げ、器用にダンゴにしていく。加えるお湯がぬるかったり、多すぎるとうまく団子状にならないので、そこのさじ加減は主婦の経験である。
「おかず」の条件
サゴダンゴは、必ずおかずと一緒に食べるものである。私が、おにぎりを食べる感覚で、塩をつけ、醤油を塗ってサゴダンゴを食べる姿は、村の人にとっては「信じられない」、「気持ち悪い」、「吐き気をもよおすような」行動だといわれた。しかし、私にいわせれば、人々のおかずの選択こそ問題である。
村では人間だけでなく、イヌもブタもネコもサゴダンゴを主食とする
チェルプメル村で、サゴダンゴのおかずとして「ごちそう」だと考えられているものがいくつかある。おそらく最高級は、ゆでて塩をまぶした豚肉だと思う。野生の有袋類の肉と比べると、豚肉のうまさはさすが人間が肉を食べるために作り出した家畜のものである。かたまりで食べるためか、うまみが強く、こくもある。豚肉をひとかじりして、サゴダンゴを口にいれると、シンプルにおいしい。
豚肉に次ぐ「ごちそう」は、アビカと呼ばれる野菜をココナッツスープで煮たものだろう。アビカという野菜は、植物学的にはハイビスカスの仲間で、和名をトロロアオイという。名前のとおり、刻んだり火を通したりすると、粘りがでる。ココナツスープで煮ることで、全体がトロトロになり、これもまたサゴダンゴの淡泊な味と食感にはぴったりである。濃い緑色の色合いもきれいで、日本で売ればいい商売になるのではないかと思う。
サゴダンゴと野草のココナッツ煮
そのほか、チューリップと呼ばれる木の葉(春の花壇を飾るチューリップとは別の植物)を煮たものもおいしい。この葉は、表面がつるつるで、みためはあまりおいしそうではない。ところが火をとおすと、煮汁が醤油に似た味と色のスープになり、葉そのものも適度な歯ごたえを残した柔らかさになる。チューリップの葉を一枚口に入れて、サゴダンゴを一口、そして醤油のような味のスープをちょっと飲みながら食べる。
一方で、私にはサゴダンゴのおかずとして受け入れにくい「おかず」もあった。代表的なものは、焼きピトピトである。ピトピトはサトウキビの仲間の花の部分である。中心部にタケノコのような食感の細い芯があり、その周りに厚さ一センチほどの花房がついている。花房の部分は、おからを固めたような食感で、わずかな苦みとアスパラガスのような香りがある。村から離れた畑にサゴダンゴをお弁当として持って行く場合、持ち運びのしやすいピトピトを焼いてサゴダンゴのおかずにする。焼いたピトピトそのものは、大変おいしいものである。しかし、焼きトウモロコシが白いご飯のおかずにならないのと同じように、私にとっては味のないサゴダンゴのおかずが淡泊なピトピトでは物足りない。
そもそも、アビカ、チューリップをはじめとする野草をサゴダンゴのおかずとする場合に、塩を入れない家庭が多いのも私には不思議なことだった。塩を入れないのは、買い置きの塩を切らしているからであるとはいえ、人々は自分の家に塩がないことを特に問題だとは思っていないようであった。私にとっては、塩なしのアビカの水煮、または塩なしのチューリップの水煮をおかずにして、サゴダンゴを食べるのは困難であった。
サゴデンプンはバナナの葉につつんで数週間保存することができる
塩なし食文化のおかず観
そもそも、チェルプメル村の日常的な食生活で、塩が使われることはほとんどなかったといわれている。せいぜいバナナの葉を炭化させてつくるカリウム塩が使われたくらいであった。淡泊な味の主食と塩味のおかずという、食についての私の前提は、彼らの食文化では重要視されていなかったのだと思う。塩が簡単に入手できるようになった今でも、塩はあればいいけどなくても別にかまわない、というくらいの存在なのではないか。そのような食文化と関連して、パプアニューギニアの農村部では加齢による血圧の上昇がみられない。
サゴダンゴをチェルプメル流に味わうためには、おかずは塩味がするものだという自分の先入観を捨てて、野草やピトピトの歯ごたえ・香り・味を楽しみ、それがサゴダンゴを食べる際にどういう役割を果たしているのかを感じ取ることが必要なのだろう。実際、村での滞在が長くなるにつれて、私自身、焼きピトピトとサゴダンゴの組み合わせをある程度楽しめるようになったのは驚きであった。そうして花開きかけていた私の繊細な味覚が、町に出て塩味のきいた缶詰などを食べるようになると、すぐさま消滅してしまったのは、今思うと残念である。
梅﨑 昌裕(うめざき まさひろ)
1968年生まれ 長崎県出身 東京大学大学院准教授
専門分野:人類生態学
著書:『ブタとサツマイモ―自然のなかに生きるしくみ』、『人間の生態学』(共著)、『オセアニア学』(編著)、他
(上記は紙面掲載時のプロフィール)