赤味噌でタレをつくった味噌カツ

 明治の文明開化の時代には、西洋料理店やホテルの食堂で食べる欧米の料理を「洋食」とよんだ。当時、パンで肉料理を食べさせる西洋料理店の顧客は上流階級の人びとであった。

 その後、西洋料理を日本風に変形して米飯と一緒に食ベる「和洋折衷料理」ということばが流行するようになり、一九九七(明治三〇)年の東京には、一五〇〇軒の洋食店があったそうだ。そして、日本化した欧米起源の料理が「洋食」とよばれるようになった。

 牡蠣フライ、海老フライ、オムライスなど、日本人の食生活に定着した洋食の種類はおおいが、なかでもトンカツ、コロッケ、カレーライス(当時はライスカレーといった)が好まれ、大正時代から「三大洋食」というようになった。

 三大洋食に共通した食べ方は、ウスターソースをかけて食べたことである。現在ではカレーにソースをかけることはしないが、かっては洋食屋でカレーライスを注文すると、カレーライスを盛った皿にウスターソースの小瓶をそえて供したのである。

 なんにでも醤油をかけて食べる習慣のある日本人にとって、ウスターソースは欧米の醤油とされて、洋食にかけて食べたのである。そして、昭和二〇年代にはトンカツ専用の濃厚な味つけをしたトンカツソースが出現した。

 トンカツは、豚の音読みの「トン」と、カツレツを合成してつくられた日本語である。幕末に渡米した福沢諭吉は、サンフランシスコで『英華通語』という英語と広東語の対訳単語集を入手した。帰国後、その単語集の日本語訳である『増訂英華通語』という本を一八六〇年に刊行したが、これが福沢の最初の著作である。

 この本に「吉列 コットレト」と記されているのが、日本におけるカツレツということばの初出である。「吉列」は広東語で「カッリッ」と読み、現在でも香港などではカツレツの訳語として使用されているそうだ。

 フランス料理のコートレット(cotelet)とは、子牛・羊・豚などの背肉を骨付きのままチョップしたものや、それを焼いたもののことである。

 英国料理のカットレット(cutlet)は、薄切り肉に小麦粉、溶き卵、パン粉をつけてバターで焼いてつくる。これが日本のカツレツの起源であろう。

 ヨーロッパのカツレツ料理は、薄切りにした肉を叩き延ばして、バターやラードなどの油脂をひいたフライパンで焼いてつくる、シャロウフライにするのが普通である。

 これが日本に移植されると、天ぷらの伝統をうけついで、揚げ物料理に変化した。肉屋で売るトンカツやコロッケはラードやヘットで揚げていたが、家庭料理では大量の植物油で揚げるディープフライの料理法に変化した。揚げることによって、サクサクとしたパン粉の衣の歯触りを楽しめるようになったのである。明治三六年にポーク・カツレツが登場するまで、ビーフカツレツやチキンカツレツが一般的であったが、その後、豚肉生産量が増大して豚肉のカツレツが普及し、これを「トンカツ」と呼ぶようになった。

 薄い欧米のカツレツとはちがって、トンカツは厚い豚肉を揚げて、箸でつまめるように切り分けて、生の千切りキャベツを添えて供する。串カツ、カツ丼、カツカレーなど、トンカツから派生した料理もおおい。 こうして日本料理となったトンカツは、海外でも好評で、アメリカやヨーロッパの日本料理店にはメニューにKatuを欠かせないようになった。

 一〇月一日は「トンカツの日」である。一〇を「トン)、一をカツ(勝つ=一番)と読んだ語呂合わせで一〇月一日になったそうだ。

 ステーキとトンカツは体力をつける料理とされるので、試合前の運動選手の食事に供されることがあった。ステーキを略して「テキ」というので、トンカツとステーキ、すなわち「テキにカツ」を食べると、「敵に勝つ」という縁起をかついだのである。

他のコラムをキーワードから探す

コラム「大食軒酩酊の食文化」「vesta掲載記事」「食文化の探求」の全コンテンツより、キーワードに該当するコラムを表示します。