自家製の親子丼

 わたしは「石毛研究室」というオフィスに毎日出勤して調べ物をしたり執筆をしているので、昼食は外食である。食いしん坊のわたしにとって、昼飯になにを食うかをきめるのが、一日の最大課題である。

 オフィスのある茨木市は、大阪のベットタウンで飲食店の店数がおおおく、コンピュータで検索すると千数百店もある。おもしろそうな店をさがし、食べたいランチ・メニューの値段を調べたり、その店へ行く道筋を調べたりして、一時間ちかくの時間を費やしてしまうのがわたしの日課である。わたしは「生きるために食べる」人間ではなく、「食べるために生きている」人間である。

 洋食や中華料理もよく食べるが、年寄りになったせいか、近頃は日本料理の食堂に行くことがおおくなった。和食の昼食となると、天丼、牛丼、カツ丼など、どんぶり物を注文することがおおい。

 

 井という文字のなかに点を打った「丼」という文字で、どんぶり飯やどんぶり鉢をしめすのは、日本流の漢字の使い方である。

 古典中国語では丼は井戸をしめす文字である。象形文字で井は井戸枠(井桁・いげた)を、そのなかの点は瓶(かめ)や釣瓶(つるべ)、あるいは物を井戸に落としたときの音をしめしていたとされる。現代中国語では、どんぶり鉢を、大陶椀(大きな陶器の椀)とか、大椀と書き、日本の丼物にあたる料理は、「おかずで飯に蓋をする」ことから、蓋飯(カイファン)と記す。そこで親子丼は鶏肉蓋飯(チーロウカイファン)、牛丼は牛肉蓋飯(ニューロウカイファン)という。

 

 日本の「どんぶり」ということばの起源説には二つある。

 江戸時代に布製のおおきな袋や、職人の腹掛けの前部につけた物入れ袋に、無造作に物を投げ入れるのを、井戸に物を落としたときのドブンとかドボンという音になぞらえて「どんぶり」といったのが、丼鉢の起源であるという。

 別の説では、慳貪(けんどん)に起源をもとめる。慳は「物惜しみをする」、貪は「むさぼる」という意味の漢字である。そこで慳貪とは「思いやりがなく、物惜しげで、欲がふかい」ことをしめすことばで、「つっけんどん」という派生語もある。

 江戸時代になると、都市に屋台の「慳貪屋」が出現する。そこは、麺類や料理をのせた飯を供する安い一膳飯屋であるが、一杯盛り切りで、別料金を支払わなければ、お代わりは許されない。料理屋の食事では、飯茶碗に盛った飯は何杯でも食べることができたのにたいして、無愛想に盛り切り飯しか供さない慳貪な店とされたのか?あるいは食事にあまり金を使わない慳貪な人を相手にする店なので、慳貪屋といったのかもしれない。この慳貪屋でつかう「慳貪振り鉢」が、どんぶり鉢の起源であるという。

 

 江戸時代の丼物は麺類が主流で、鰻丼や天丼、深川丼など飯のどんぶり物が出現するのは江戸時代末期のことである。明治時代になると都市のサラリーマンの昼食として、親子丼、牛丼、カツ丼などが食べられるようになる。

 鶏肉と卵でつくる親子丼の鶏肉のかわりに、牛肉や豚肉を使用したものを、西日本では他人丼とよぶが、関東地方では開花丼といった。文明開化とともに食べられるようになった畜肉とタマネギを使用してつくるので名づけられたのであろう。

 外国起源の料理を、飯のおかずとして日常的に食べるようになった現代の日本人のことである。コロッケのカレー丼、八宝菜をのせた中華丼など、さまざまな外国料理をどんぶり物にして食べている。

 そして湯をかけたらどんぶり物の具ができるフリーズドライの「どんぶりの素」や、レトルトの「どんぶりの素」を使って、家庭でも簡単にどんぶり飯が食べられるようになった。

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