大食軒酩酊の食文化

キツネとタヌキ

vesta 104号掲載

刻んだ油揚げと九条ネギを具材にした京都のタヌキうどん。

喜田川守貞が幕末に執筆した『守貞漫稿』は、江戸と上方の風俗、習慣のちがいを具体的に記載した近世風俗史の基本文献とされている。守貞は大阪で生まれ育ち、30歳近くに江戸に移住した人物なので、体験にもとづいて、この書物をつくることができた。

 酩酊は少年時代を東京近郊ですごし、東京の下町にある高校に進学した。大学時代から10年間京都でくらし、その後40年間大阪近郊の都市に住んでいる。そこで、守貞とおなじように東京、京都、大阪の風俗を体験している。そこで、今回は三都の麺料理のキツネとタヌキのちがいを述べることにした。

 19世紀初めの滑稽本『船頭深話』に、ネギと油揚げをあしらった蕎麦がでてくる。しかし、油揚げを煮て味つけしていたものか、どうかは、わからない。

 現在のキツネうどんの起源については諸説あるが、明治26年頃に大阪船場の松葉屋ではじまったという説が有力である。

 油揚げは稲荷神の使者であるキツネの毛皮の色をしているし、また油揚げはキツネの好物であるとされ、稲荷社の供物には油揚げがそなえられる。そこで油揚げをいれた麺がキツネとよばれるようになったのであろう。関西方言でキツネをケツネと発音するので、キツネうどんを注文するとき「ケツネ」という人もいる。人形浄瑠璃や歌舞伎の「蘆屋道満大内鑑」にでてくる大阪府和泉市の信太の森の白狐伝説にちなんで、大阪ではキツネうどんを「シノダ」という人もいたそうだが、現在では死語となった。

 東京、大阪のキツネは、油揚げを三角、あるいは四角に切ったものを載せるのにたいして、京都のキツネは油揚げを刻んで味つけしたものを具材にする。

 東京の麺類店で「タヌキ」といったら、天かす(揚げ玉)をちらした麺のことである。その語源については、天ぷらそば・うどんの主要な種物である天ぷらを入れないので、「種ぬき」から「タヌキ」になったと説明するなど、諸説ある。

 しかし、関西でのキツネとタヌキの化け具合はちがっている。大阪のうどん屋で「タヌキ」を注文したら、そば台に油揚げを載せたものがでてくる。うどんがそばに化けたのである。

 京、大坂では、天カスを載せた麺類を「ハイカラ」とよんだ。しかし、関西では食卓の上に天かすを入れた容器が置れ、無料で使用できる店もおおかった。そこで、「素うどん」(東京でいう「かけうどん」)を注文して、自分で天かすをちらして食べる人がおおかったので、ハイカラはあまり流行らなかった。

京都では、キツネがタヌキに化ける。油揚げを刻んで載せる京風のキツネうどんを「餡かけ」にしたものが、京都のタヌキである。

 京都と大阪のタヌキのちがいを心得ていないと、関西でタヌキを注文したら、別物だったということになるのでご用心。京都文化圏と大阪文化圏の境界地域では、おなじ街のウドン屋でも、大阪流のタヌキと、京都流のタヌキをだす店が混在する。

 ある京都のシンクタンクの調査結果によると、大阪府、奈良県でも京都への通勤者数が30パーセント以上になる地域では、京都流のタヌキが通用する地帯になるという。滋賀県西部では京都流のタヌキが通用し、滋賀県東部から東の地帯でタヌキといったら、天かすを入れた東京流のタヌキが供されるそうだ。 

先日、京都へ行ったとき、祇園近くの麺類店で、ひさしぶりに京風のタヌキを食べてみた。東京や大阪のタヌキとまちがわれないように、この店の献立には「たぬきうどん(きつねのあんかけ)」と記されていた。

 写真にみるように、ウドンに一口大に刻んだ油揚げを煮たものと、京都名物の九条ネギを置き、京風の薄味のウドンつゆをかけた上を、水溶きにしたカタクリ粉におろしショウガを加えた餡がおおっている。

 主食で酒を飲むことをしないわたしだが、これを食べるときだけは、日本酒を注文する。トロッとした餡とピリッとしたショウガの香味が、酒によくあう。

 餡かけなので、仕出しをしても冷めないから、むかしは祇園のお茶屋からの注文もおおかったという。

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