缶詰の貝柱をいれた茶々汁

 酩酊という称号をもち、酒好きなわたしにとって苦手なのは、茶の湯の会に出席することである。茶道の作法をよく知らないし、若い頃の大怪我の後遺症で正座をすることができないからである。
しかし、抹茶の味は好きである。茶人にあきれられるような、でたらめな方法で茶を点てて、抹茶をガブ飲みするのである。
 
 学生時代は探検部というクラブに所属していたことからわかるように、わたしは未知の土地を訪ねることが好きである。20代の頃は、ニューギニア中央高地や東アフリカのサバンナ、リビア砂漠など、世界の僻地の民族を訪ねては、そこに何ヶ月も滞在して民族誌を作成するフィールドワークをおこなった。
 日本食ブームの現在の世界では、海外の大都市のスーパーマーケットでは日本食品を売っている。しかし、わたしが長期間の現地調査に従事していた1960年代の世界では、在留邦人のおおい都市をのぞいては日本食品を入手することはできなかった。そこで、僻地での海外調査をする調査隊などは、大量の日本食品を日本から持参するのであった。
 民族学者のわたしにとって、未知の民族の食生活も重要な調査対象なので、日本から食料をもっていかずに、なるべく現地の人びとと食事を共にするようにした。そんな現地食主義者のわたしではあるが、海外に長期間滞在するときに、かならず持参する食品が2つあった。抹茶と昆布茶の缶である。
 葉茶にくらべて、抹茶は味や香りが濃厚なうえかさばらないので携帯に便利である。
 細い木の枝先を束ねて、茶筅の代用品として使用し、抹茶を点てたのである。旅先でときたま抹茶を口にすると、「オレは日本人だな」という気分になる。
 親しくなった調査地の村人には、砂糖をいれた抹茶をつくって飲ませてあげる。抹茶の苦味には抵抗感があるようだが、砂糖を加えると飲んでくれる。
 抹茶にくらべると、昆布茶は歴史のあたらしい飲み物である。江戸時代に刻み昆布に熱湯をそそいで飲むことはあったらしいが、粉末状の昆布茶が商品として登場したのは1916(大正7)年のことであるという。
 見合いや婚礼など、祝い事の席には「福茶」といって、昆布茶や桜湯が供されることがある。いい加減なことを話して、場をとりつくろう、「お茶をにごす」 ことを避けるために、祝いの席では茶ではなく福茶を飲むのだという。
 昆布茶には、うま味の素であるグルタミン酸が濃縮されており、塩味がつけられている。そこで、インスタントの昆布だしとして、料理に使用することができる。わたしは海外で日本の味が恋しくなったときには、現地の食材を昆布茶を使って料理したのである。
 わたしの追憶の味である、抹茶と昆布茶を使ってつくる、低カロリーのインスタント・スープのレシピを紹介しよう。
 抹茶と昆布茶を混ぜたうえに、熱湯をそそいでかき回す。それだけのことで、昆布だしの味と茶の香りのする、濃厚な緑色をしたスープができあがる。ほろ苦く、さっぱりとした味わいなので、酒との相性がよい。ただし、抹茶の量がおおすぎると、苦さと茶の香りがつよすぎて、昆布茶の淡い味わいが感じられなくなる。
好みによって、塩や醤油、香辛料を加えたり、味つけをした具材をいれる。写真中央の白い具材は、缶詰の貝柱である。
 この料理本にはない、わたしの創作料理の名称を考えた。抹茶と昆布茶の2種類の茶を使用するので、茶化して茶々汁(チャチャシル)と命名したのである。

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