Productions 『vesta』掲載
おすすめの一冊

バウムクーヘンの文化史 パン・料理・菓子、越境する銘菓

三浦裕子
vesta131号掲載

バウムクーヘンは我々に何を語りかけるのだろうか?

 バウムクーヘンと聞いて、どういうお菓子かわからない人はまずいないのではないだろうか。木の幹の様な円筒形で、しかも切り口は年輪状に焼き上がっている。「バウム(木)クーヘン(菓子)」という命名は当を得たものだと感じ、ドイツ人と日本人との間に共通する価値観だと思っていた。

 ところがドイツでは、木の心棒を使用することから、この名があると本書には記されている。実は両国のバウムクーヘンの捉え方が全く違っていたのだ。

 さて、この本は、「バウムクーヘンの比較文化史的考察―15世紀のドイツから現代までのレシピの解読を中心に」という博士論文を修正・加筆し、上梓されたものである。著者の三浦裕子氏は、長年「お菓子教室」を主宰して、菓子作りを人に教えるという立場で活躍される一方で、菓子のルーツや、それらがどのように食べられてきたのかを探求し続けて、この論文により九州大学大学院で比較社会文化の博士号を取得された。

 菓子の来歴などを興味深く書いた本はあるが、信頼に足る歴史的、文化的な研究は充分あるとはいえないことを、もどかしく感じていた中、著者の三浦氏の「歴史の文脈の中で菓子を捉えた上で、菓子を作って味わいたい」との言には共感しかない。

 本書は、バウムクーヘンという菓子の発祥から現代に至るまでの文化史的変遷に関する類のない研究書である。

 序章では菓子関係だけでなく、「食」という広い範疇に渡って参考文献が紹介されている。そこを出発点として、1章ではドイツ人菓子職人フリッツ・ハーン著、「バウムクーヘンの系譜」を参考に、第1期から第5期に区分し、バウムクーヘンという菓子の成り立ちを詳細に検証している。

 第2章では時代の経過に伴う生地の変化とそれを製造する人々(女性も含めた職人)を焦点に、当時の社会背景をバウムクーヘンの社会的位置づけが明らかにされる。次の第3章では、バウムクーヘンが日本に来た経緯や発展について書き進められ、続く終章では日本の菓子製造技術、特に製造機械の開発力の高さに触れる一方で、技術者としての菓子職人の今後のあり方との関係性についての課題が投げ掛けられている。

 バウムクーヘンの配合や焼成法の変遷などを分析、比較し、そこから製菓技術とは何かという本質的考察に至る過程は、菓子の作り手でもある著者ならではと言えるのではないか。これから製菓の技能を学ぶ人にも、また食文化や歴史を学ぶ人にも是非読んで頂きたい一冊である。私自身も大いに刺激を受け、バウムクーヘンの成り立ちとキリスト教との関係性、あるいは「ハンザ」との関わりについて思いをはせている。この本はそういう契機を与えてくれる良書である。

辻製菓専門学校教員 長森 昭雄