中華料理と日本人 -帝国主義から懐かしの味への100年史

中華料理に映る日本近代史
肉まんの広まりと日本の近代化はいかなる関係にあるのか。ジンギスカン料理はなぜ北海道の郷土料理になったのか。日本の帝国主義は、餃子の普及にどう関わったのか。――こうした問いに答えてくれるのが、岩間一弘氏の新著『中華料理と日本人』である。
本書は、中華料理が日本社会に定着していく過程をたどり、その歴史を通じて日本とアジアの関係性を見つめ直そうとする。料理をテーマとする歴史研究の多くが生産や流通といった経済的側面に注目してきたのに対し、本書は精神的な側面に光を当てる点が特徴である。
本書を読み解くうえでのキーワードは3つある。
1つ目は「近代化」。たとえば、肉まんは豚肉食を普及させるために、1910年代から積極的に宣伝された。その背景には、国民の栄養状態を改善し、西洋人に対する身体的劣等感を克服しようとする意図があった。
2つ目は「帝国主義」。この点を端的に示しているのが、ジンギスカン料理である。戦前の日本人は、満洲とモンゴルを一体の「満蒙」として捉え、モンゴルに由来すると信じられていたジンギスカン料理を、満洲の代表的な料理と位置づけていた。日本の陸軍は、チンギス・ハンによるユーラシア大陸遠征になぞらえて自らの大陸侵攻を正当化し、ジンギスカン料理を宣伝に利用した。
3つ目は「ノスタルジア」。「満洲人の友だちの家に遊びに行く時」の記憶を呼び起こす餃子は、満洲からの引揚者たちの郷愁の対象となった。餃子は、彼らが戦後の日本で生活の糧を得る手段であると同時に、栄養不足にあえぐ人々にカロリーと心の温もりを与える、癒やしの料理でもあった。
本書は決して文化交流や日中友好を礼賛するだけの単純な物語ではない。むしろ著者は、「帝国主義」――本書の定義によれば「植民地支配を正当化する考え方」――と真正面から向き合おうとする姿勢を貫いている。
たとえば、肉まんの普及に努めた中村屋の創業者・相馬夫妻のアジア主義者としての一面に注目する点や、台湾産ウーロン茶が植民地産業の振興の文脈で日本国内で消費されたという指摘は、食の背後にある政治的な文脈を浮かび上がらせる。また、日本人の中華料理への親近感の根底には帝国時代へのノスタルジアが潜んでおり、それが「罪悪感のない歴史」になりやすいという問題提起も、読者に深い思索を促す。
歴史学としての重厚さを備えつつも、本書はまた、料理の「おいしさ」までも伝わってくる一冊である。炭火で羊肉をあぶる音が聞こえてきそうな描写や、「シウマイ娘」がほほ笑む写真は、読者の食欲を否応なくかき立てる。ただし、寝る前に読むのは控えたほうがいい。
「いま、すぐこれが食べたい」という衝動にかられて、眠気がたちまち吹き飛んでしまうかもしれないからだ。