ある企業ビルの喫煙室

 アメリカ大陸原産のタバコ(煙草)は、一六世紀終わりに、ポルトガル人によって日本に伝えられ、慶長年間(1596-1615)のはじめ頃には、九州でタバコの栽培がされるようになった。

 洋の東西を問わず、いったんタバコが伝えられると、またたく間に喫煙の風習が普及する。火災の予防や贅沢を禁じる目的で為政者が禁煙令をだしても、その実績はほとんどあがらないという道筋をとるが、日本もおなじであった。

 各自が携帯用のタバコ入れをもつようになるのは、元禄時代からのちのことで、それまでは室内で喫煙するのが普通であったようだ。

 客が来ると、主人がタバコ盆をすすめ、主人から吸うか、客がさきに吸うかの譲り合いをしたのち、おなじキセル(煙管)で回し飲みをした。酒を勧めるとき、酒杯のやりとりをするのとおなじである。

 非喫煙者が最初に大量のタバコの煙を吸ったときには、目まいを起こすような非日常的な感覚におそわれる。そこでヨーロッパにタバコが伝来した初期には薬効が強調され、タバコは医薬品の一種としてパイプで喫煙した。

 わが国でのタバコも最初は延命長寿、万病治療に効果があり、アメリカ大陸起源の病気である梅毒の特効薬ともされた。

 江戸時代のキセルでの喫煙は女性もおこなっており、その名残で一九六〇年頃まではキセルでタバコを吸うおばあさんたちがいた。

明治時代になると、タバコは税収財源の一つとして国家の管理するものとされ、明治三七(一九〇四)年には「煙草専売法」により、タバコの製造や販売は、政府が管理することになった。

 明治三〇年頃から紙巻きタバコ(シガレット)が普及しはじめる。パイプやキセルにくらべたら、刺激がきつく、ニコチンの含有量のおおいのが紙巻きタバコである。第一次世界大戦の頃から紙巻きタバコが優位を占めるようになる。

 紙巻きタバコが流行するようになると、女性がタバコをくわえると「女だてらにタバコをくわえる」と非難されるようになり、キセルの没落とともに女性喫煙者はすくなくなった。

 子どもの頃から酒の味を覚えた酩酊先生であるが、タバコを吸うようになったのは二〇歳からである。大学生のとき、愛煙家の友人からタバコの味を教えられて、喫煙をするようになった。

 タバコを欠かせない現在ではあるが、ニコチン量が一ミリグラムで、フィルターつきの銘柄を一日に十数本吸うのが、日常の消費量である。

 受動喫煙を防止する「健康増進法」という法律にもとづいて、現在では屋内禁煙となった施設がおおい。原則としてビル全体を喫煙禁止とするのだが、愛煙者のための専用喫煙所が設置されていることがおおい。

 そんなビルで会議があったときには休憩時間に喫煙室で一服したいし、禁煙のレストランで外食をするときには食事の前後にタバコを吸いたくなる酩酊先生のことである。さまざまな建物の喫煙室に出入りしたが、もう一度訪れたいと気にいった喫煙室はない。

 部屋飾りはなく、イスは置かず、立ったまま吸わせるのが普通である。施設内のさまざまなオフィスの人々が数少ない喫煙室に集まるので、入り口には行列ができたりする。そこで、はやく吸い終わって席を替わらねばならない。そんなわけで喫煙室では、ゆったりとタバコを楽しむことはできない。

 行列のできる喫煙所を代表するのが、新幹線の喫煙ルームである。しかし、二〇二四年の春から東海道・山陽・九州新幹線の喫煙ルームが全廃される。

 新幹線を利用することがおおく、喫煙ルーム近くの座席を予約するのが通例であったわたしには、寂しいことである。

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