D51蒸気機関車に盛ったお子さまランチ

ようやく宿願を達成した。お子さまランチを食べることができたのである。

大人がお子さまランチを注文するわけにはいかない。孫を連れてレストランに出かけ、孫に食べさせるふりをして注文したお子さまランチを、大食軒が横取りして食べたのである。

終戦後、しばらく東京の近郊農村でくらしていたとき、小学生のわたしにとって、年に1?2回、親に連れられ、汽車に乗って、東京の百貨店での買い物にいくのが楽しみであった。当時はデパートを百貨店と呼んでいたが、田舎育ちの子どもにとって、そこは夢の国のような場所であった。百貨店のエレベーターに乗ったのが、いまの子どもがジェットコースターに乗るのとおなじくらいワクワクする体験であった。それまでに体験したいちばん高い場所である屋上には、当時の子どもにとつての天国のような遊園地があった。

食堂のガラスケース越しに見たお子さまランチは、あこがれの食べ物であったが、食べさせてもらうことはなかった。

1930(昭和5)年、日本橋三越百貨店大食堂で、「お子様洋食」という名で、チキンライス、コロッケ、ハム、スパゲッティ、サンドイッチなどを一皿に盛りあわせたのが、日本で最初のお子さまランチであるという。チキンライスは山形に盛り、頂上に三越の社旗が立てられたが、のちに日の丸などの国旗にかえられたそうだ。

三越の3ヶ月後には、上野松坂屋の食堂で「お子さまランチ」を供するようになり、この名称が普及した。以後、お子さまランチはデパートの食堂で供する子ども用の洋食として定着し、飯には旗を立て、玩具のおまけをつけることが定番化した。お子さまランチは日本の発明料理である。レストランは大人の世界であるとする欧米では、子連れで高級な料理店に行くことがなかったので、お子さまランチはなかった。しかし、近頃はキッズメニューといって、ハンバーガーやホットドックなどを中心とした、子ども用のメニューを用意した店もあるそうだ。

 

数年前から、お子さまランチを食べてみたいと思うようになった。

下腹がつきだして、肥満型の体型をしたわたしのことである。医師からも、山の神さんからも、摂食を心がけろとのお告げをうけている身の上である。しかし、大食軒の名に恥じず、レストランにいったら、何品もの料理を注文しないと気がおさまらない。1皿に何品もの料理を少量づつ盛りあわせたお子さまランチだったら、何種類もの料理が食べられて、しかも低カロリーの食事を楽しめるはずだ。

しかし、お子さまランチは幼稚園から小学校の低学年の年齢層を対象に設定した食事である。大人が食べるために注文するわけにはいかない。

孫が生まれたとき、この子にお子さまランチを注文してもおかしくない年頃になったら、わたしも食べることができると期待したことである。4年間たって、ついにその機会がやってきた。孫をまじえた家族連れで、大阪のあるデパートの食堂で昼食をしたのである。「おもちゃ付き お子さまランチ」777円の献立は、ハンバーク、えびフライ、チキンナゲット、ポテトフライ、ごはん、ゼリー、ジュースで、赤いD51蒸気機関車に盛られていた。チキンライスのごはんの上には旗が立てられていた。

ゼリー、ジュース、おもちゃは孫にあげ、大人たちが注文した料理をすこしづつ孫に食べさせ、お子さまランチの料理は、わたしが独り占めにして食べた。量的には物足らない気もするが、わたしの健康にはよいだろう。赤ワインと黒ビールを飲みながら、お子さまランチを満喫したのである。

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