賑やかな宴席の料理(春)

林綾野(はやしあやの)

賑やかな宴席の料理(春)

満開を迎えた桜を前に宴に興じる人々。今も昔も変わらない麗らかな春の光景です。三代豊国が描く『見立源氏はなの宴』は、柳亭種彦による長編小説『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ)の一場面を表したものです。平安時代に書かれた『源氏物語』の世界を室町時代の武家社会に置き換えたストーリーで、文政12年(1829)に刊行されて以来、江戸で大流行。豊国は原作の絵草子の挿絵を担当し、その後もこうした錦絵としても度々描き、人気を呼びました。

賑やかな宴席の料理

華やかな三枚続きの画面の中心には、色鮮やかな着物を纏う美しい男と女が寄り添います。二人の前には宴席のご馳走がずらっとならび賑やかです。左には、紅葉柄のお重に伊達巻きのようなものが並び、隣の大皿には白と紫の簾が渡してあります。これは刺身を盛る時に用いる硝子簾です。その上には「作り合わせ」とよばれる赤 白二種、鯛と鮪でしょうか、刺身がたっぷりと盛られています。脇には大根おろし、防風、山葵らしき三種の薬味。二つならんだ猪口には黒と黄色、おそらく刺身につける醤油と煎り酒が入っています。
その横の桶には握りずしが積み重なるように盛られています。一番上には海老、青色のものは小鰭でしょうか。奥にはうす黄色の握り。焦げ目のような茶色い点も見えますので、穴子かもしれません。一番下には渦巻き状の巻きずしが見てとれます。
握りずしは江戸で生まれました。古来、塩漬けにした魚を米とともに発酵させる「熟れずし」など、全国それぞれの地域に根付く「すし」が存在します。中でもすし飯を押し枠の中に詰め、その上に具をのせ、さらに圧力をかけ、寝かし作る「押しずし」は上方からもたらされ、江戸でも親しまれました。江戸時代中期になると、酢や醤油といった調味料が普及し、いよいよ「握りずし」が登場します。味をほどこした魚介と酢飯のコンビは日保ちもし、すぐにできるため、せっかちな江戸っ子に愛されるようになるのです。
文政13年(1830)に出された十返舎一九による『金儲花盛場』には、すしを売る屋台「鮓見世」の様子が挿絵として描かれています。江戸の握りずしは、まずは屋台からはじまったのです。人気が高まるに伴い料理屋がすしの出前をはじめ、さらには高級すし屋も誕生します。ここに猫かれているのは料理屋から運ばれてきたものでしょう。江戸の人たちを魅了した気軽で美味しい握りずしはこうした宴席には、欠かせない存在だったのです。こんもりと盛られた握りずしはどこか可愛らしく、桜が咲き誇る華やかな画面にさりげなく彩りを添えています。

五代目市川海老蔵と子供たちが書画会に興じる。

五代目市川海老蔵と子供たちが書画会に興じる。場所は深川木場の海老蔵の本宅で、ここにも仕出しのすしが描かれている。集まりの場ですしは定番のケータリングだったのだ。

店でも、家でも親しまれたすし

東都高名会席尽

同じく三代豊国が人気役者を、そして歌川広重が背景に人気料理屋と名物料理を描いたシリーズ『東都高名会席尽』(とうとこうめしかいせきづくし)にも握りずしが登場します。名古屋山三を演じる助高屋高助とともに吉原の近くにあったという「燕々亭」という名のすし屋の外観、店で供されるすしが描かれています。
ここでもすしは桶の中で重なりあうように盛られています。「積み込み」と言われる盛りつけです。手前は鯛でしょうか、皮目が見えます。青色は小鰭、黄色は玉子、薄い赤色で描かれる鮪の握りはリアルです。笹の葉の上に並ぶ色とりどりのすし。手前にこぼれるように描かれる葉の様子など、店でいただくすしにはどこか優雅な雰囲気があったようです。

縞揃女弁慶

そして幕末に活躍した絵師、歌川国芳は、母と子が「さあこれからおすしをいただこう」という瞬間を描いています。「縞揃女弁慶」と題した揃物の中の一枚です。画中の狂歌に「をさな子もねだる安宅の松の鮨 あふぎづけなる袖にすがりて」とあり、女性が手に持つ折詰めにはよく見ると「松の寿し」とあります。松のすしは、江戸のすしを「一変させた」と伝えられるほど評判のすし屋でした。手を伸ばし、足を上げ、ねだる子供の姿からも、その味わいには大人だけでなく子供も夢中になったということがわかります。折詰めのすしは持ち帰って家で楽しむにも、進物としても重宝されたのです。

浮世絵に描かれるすし

浮世絵に描かれるすしは、きまって積み重ねられている。大抵下方に押しずしが描かれているが、当時は握り、押しずしを共にいただくのが主流だった。楊枝で剌して食べることも多かったようだ。

屋台から高級店まで、広く江戸っ子に愛されたすしですが、どのような種類があったか、当時の暮らしや風俗を伝える『守貞謾稿』に詳しい記述があります。

守貞謾稿

天保8年(1837年)より刊行された『守貞謾稿』には図入りですしが紹介されている。一番上が握りの玉子、2番目は玉子の巻きずし。今と違って魚介より玉子が重宝された時代背景がうかがわれる。

主な具材は「鶏卵焼・車海老・海老そぼろ・白魚・まぐろさしみ・こはだ・あなご甘煮」。そして値段は大抵は一貫八文で、玉子巻だけは二倍の十六文。江戸湾の魚介を主としながらも、栄養価も高く高級食材とされた玉子も江戸前ずし の中 で大きな存在感を放っていたようです。さらに一つの町に一、二軒というふうに多くのすし屋が店を構え、屋台もたくさんあったとあり、江戸でのすし人気がいかに高かったかがうかがえます。そして名のある店としてやはり「松の寿し」と「与兵衛鮓」の名があげられています。

『守貞謾稿』に図入りで紹介されている「玉子巻き」を再現してみました。すし飯に小さくちぎった海苔と甘く煮て細かく刻んだ干瓢を混ぜ込みます。玉子を少し厚めのシート状に焼き、先のすし飯を巻けば出来上がりです。玉子の色味が食欲をかき立て、その甘い香りとすし飯のきゅっとした味わいが口の中でまざり合う、素朴ながらも食べ応えがある一品です。玉子のすしを「金のよう」といった江戸っ子たちにとってこの巻きずしは格別なご馳走だったわけです。

江戸で生まれたすしの味わいは、時代の息吹に呼応しながら、今にいたるまで進化してきました。華やかな春の宴を飾るすしの姿。そこには当時の江戸の人たちのすしへの熱狂が込められているのではないでしょうか。

玉子巻き
©Akio Takeuchi

玉子巻き

材料:
酢飯......適量
海苔......適量
干瓢の甘辛煮......適量
卵......2個
水......大さじ1
砂糖......小さじ1
塩......•ひとつまみ

1.酢飯を準備する。
2.海苔を細かくちぎる。
3.干瓢の甘辛煮は細かく刻む。
4.1に2と3を混ぜる。
5.卵をボウルに割り入れ、水、砂糖、塩を加え混ぜ合わせる。
6.卵焼き器に油を引き、中火で温めて5を流し入れ、片面が焼けたらひっくり返し、もう片面も焼き目が付くまで焼く。
7.簀子に6を置き、4を乗せて巻く。
8.7を切り分けて器に並べる。

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