自家製菊酒 

 食堂や飲み屋では、刺身を注文すると、皿の飾りに小さな菊の花がそえられていることがおおい。あなたはこの菊の花を食べますか?

 料理専門店で使用する菊花は食用菊なので、食べてもさしつかえのないはずだ。しかし、刺身のつまであるダイコンの千切りやシソの葉を口にする人はいるが、菊の花を食べる人はなさそうだ。

 大食軒酩酊という名前のとおり、なんでも口にし、酒好きのわたしは、菊の花に手をつけずに残してしまうことができない。

 刺身を注文するのは、わたしが日本酒を飲んでいるときである。そこで、菊の花びらをちぎって、冷酒や燗酒の杯に浮かべるのである。

 酒とともに口にいれた花びらを噛むと、菊の香りとほろ苦い味がひろがる。その余韻が舌にのこっているあいだに、口直しに菊花なしの酒を一杯やり、つぎの杯には花びらを浮かべて飲む、というふうに、菊酒を肴にして日本酒を飲むのが酩酊流の酒盛りだ。 

 菊酒あるいは菊花酒という菊の花びらを使った酒は、古代中国に起源し、重陽節という菊の節句に飲む酒であった。

 季節の変わり目に年中行事をおこなう日である節句は、古代中国の暦法に由来する。奇数を陽、偶数を陰とする陰陽五行説によれば、奇数のかさなる日はめでたいとされる。そこで、3月3日が桃の節句、5月5日が菖蒲(あやめ)の節句(ショウブの節句、端午(たんご)の節句ともいう)、7月7日が七夕(たなばた)とされる。9月9日は奇数最大の九がかさなる日なので縁起をかついで重陽節といった。

 旧暦の重陽節は菊の花の咲く頃にやってくるので、中国では重陽節に菊の花を観賞したり、菊酒や菊茶を飲む習慣があった。寒さや霜に負けない菊を愛でると「不老長寿」に効果があるとされ、漢方医学でも菊の花にはさまざまな薬効があるとされる。そこで、菊酒を飲むと長生きをするといわれた。

 菊は中国で栽培化された植物である。日本にも野菊は自生していたが、菊の栽培はされず、さまざまな植物名が登場する『万葉集』にも菊はでてこない。

 奈良時代末から平安時代初期に日本に中国から栽培菊が導入され、『古今和歌集』にも菊を詠じた和歌が収録されるようになる。重陽節も日本に導入され、宮中行事では、九月九日に貴族たちが菊の花を観賞して、天皇が菊の花を浸した酒を下賜する「菊の宴」が開催されるようになる。鎌倉時代になると、菊が好きであった後鳥羽上皇が、菊花を天皇家の家紋に制定した。

 上流階級からはじまった重陽節は、江戸時代になると「菊の節句」として民衆にも普及した。

  草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒

 松尾芭蕉が1695(元禄8)年9月9日に詠んだ俳句である。「人びとは菊酒を飲んで、この日を祝うが、草の戸に侘びて住む自分には縁がないと思っていたら、菊酒を持参してくれた人がいた」という意味のこの句から、江戸時代には「菊の節句」に菊酒を飲む習慣があったことがわかる。

 日本酒に菊の花びらを浮かせたもの、花びらを蒸して冷酒に漬けたもの、花びらを蒸したり煎じて得た抽出液を麹や米に混ぜて醸造した酒、菊の花や茎をいれて醸造した酒、焼酎に菊花を漬けてつくる酒、加賀の菊酒のように菊は使わないが野生の菊が群生する渓流の水で醸造した酒など、さまざまな菊酒がある。だが、いちばんよく飲まれるのは梅酒とおなじように、菊花を焼酎と氷砂糖に漬けてつくる菊酒であろう。

写真はビールの大ジョッキに焼酎と氷砂糖、菊花をいれて漬けこんだところである。漬けてから一ヶ月して、菊の香りがする淡褐色の液体になると飲み頃をむかえる。「これを飲んだら長生きする」というのが、わたしが菊酒を飲むときの口実である。

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