ニューヨークの日本料理店の入り口に飾られた酒樽

和食がユネスコの世界無形文化遺産に登録されたことは、「日本酒で乾杯推進会議」代表をつとめる酩酊先生にとっても、うれしいことであった。

中国料理やフランス料理では、人工的な技術を駆使して「自然にない味を創造することである」という料理哲学が認められる。それにたいして、食材の持ち味を重視して、「料理をしないことが、理想的な料理である」という、独自の料理観を形成したのが伝統的な和食である。和食の世界文化遺産登録によって、日本の食に関心をもつ外国人が増加するとともに、日本酒が世界の酒となることが期待される。

1970年代までは、海外で日本酒を飲むのは在留邦人と、台湾や朝鮮半島などの旧植民地で日本文化に親しんだ現地の人びとに限定されていた。そのことは、和食についてもおなじであり、日本食を供するレストランが営業する都市は、旧植民地、商社マンなどの在留邦人のおおい巨大都市、ホノルル、ロスアンジェルス、サンパウロなど日本人移民が日本人街を形成した場所に限定されていた。

日本と関係のない現地の人びとが和食に親しむようになったのは、1970年代末のニューヨークとロスアンジェルスにはじまる「スシ・ブーム」からである。スシを中心とする日本料理が、アメリカ人にとって「健康によい食事」と評価され、この2大都市で日本料理店が急増したのである。1980年、わたしは仲間たちとロスアンジェルスの日本料理店の調査をおこなった。この頃のロスアンジェルスの日本料理店でのアメリカ人客が食事とともに飲む酒は、ビールか清酒であった。ビールは輸入品の日本産のビールが好まれ、清酒は徳利にいれた燗酒を猪口で飲むのが普通であった。アルコール飲料を温めて供するのが物珍しく、「ホット・サケ」はエキゾチズムをそそる飲みものであったようだ。

アメリカではじまった日本食ブームは、その後、世界に波及し、農林水産省の推計によれば、2013年における海外で日本レストランを名乗る店は約55000軒に達するという。

2008年には、ニューヨークの日本食レストランの調査をおこなった。この時点で、ニューヨークには約800軒の日本食レストランが営業していた。日本の料理店では数種類の酒しか置いてないのが普通であるが、ニューヨークの高級日本食レストランでは数十種類の日本酒を置く店がおおく、テーブルに着くと、客に料理のメニューとは別に、ワイン・リストならぬ「サケ・リスト」を配る。燗酒を飲むアメリカ人客はすくなく、ワインクーラーにいれた四合瓶からワイングラスに注いで、冷酒を飲むことがおおい。

日本酒をよく飲むアメリカ人にはワイン愛好家がおおく、「サケはワインにおとらず、奥深いアルコール飲料である」という。

日本料理店だけではなく、フランス料理店やイタリア料理店のワイン・リストにも「サケ」という項目が記されるようになり、サケ・カクテルをつくるバーもあり、ワインショップやスーパーマーケットでもさまざまな銘柄の日本酒を販売するようになった。アメリカの大都市だけではなく、現在ではロンドンやパリでも、日本酒の人気がたかくなりつつある。過去10年間に、日本酒の輸出量は2倍に増加した。

和食文化の形成におおきな役割をはたしたのが、酒と茶である。日本の高級料理は酒の肴として発達したし、茶の湯が懐石料理をつくりだした。日本酒も日本茶も、日本独自の製法による飲みものであり、民俗文化と深い関わりをもっている。和食のつぎには、日本茶と日本酒を世界無形文化遺産に登録することを考えてみたらどうだろう。

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