象鼻杯を飲む酩酊先生

朝寝坊で、朝湯が好きな酩酊先生ではあるが、朝酒はしないというのが原則である。さもないと、小原庄助さんになってしまう。原則というものは、逸脱行為が起こることを前提にしている。今朝(2010年7月4日)は、朝酒を飲んでしまった。それも早朝6時から。
大阪の万博記念公園のなかに、わたしの職場であった国立民族学博物館に隣接して、広大な日本庭園がある。そこの蓮池の花が咲く7月上、中旬の期間に、毎年「早朝観蓮会」が開催される。今日は朝起きをして、観蓮会に出かけたのだ。というと、風流の士であると感心されそうだが、お目当てはべつにある。象鼻杯で朝酒を飲むために出かけたのである。日本庭園の蓮池のそばに、象鼻杯のコーナーが設置され、長い茎のついた蓮の葉が置かれている。注文すると、茎の末端を口にくわえさせ、蓮の葉を漏斗状にしてたかく掲げ、そこに酒を注いでくれる。蓮の葉に、酒が露のような玉になり、きらきらと光る。葉と茎がつながる部分に孔をあけてあるので、吸うと、茎を通じて酒が口にはいる。蓮の葉を酒杯にしたてたのが、象鼻杯である。おなじ蓮の葉を何度も使用するが、飲み手がかわるごとに、口をつけた部分を切りとるので清潔である。
中国の晩唐時代に記された『酉陽雑俎』という書物の「酒食」篇に「碧?杯」の故事があらわれる。そのくだりを意訳してみよう。
魏の正始年間というが、めんどうなことには、魏という国名は三国時代と南北時代にもあり、どちらの国も正始という年号をもっている。三国時代の正始年間なら3世紀中頃、南北朝時代なら5世紀初頭のことになる。いずれにせよ、魏の正始年間に地方長官をしていた鄭公愨という人物は、夏のいちばん暑い期間(三伏)になると、いつも部下や顧問を連れて、現在の山東省の歴城県にある使君林という森に避暑に出かけるのであった。そのとき、おおきな蓮の葉をとり、葉の中央に簪で孔をあけて、酒を注ぎ、象の鼻のように屈曲した茎を通じて、酒を飲み回すことをした。この蓮の葉の酒杯を「碧?杯」と名づけ、歴城の人びとは、これをまねるようになった。蓮の香りが酒に移り、水より冷たい味がするという。
「碧?杯」とは、「緑色をした筒型の酒杯」とでもいった名称である。中国の古書には「荷葉杯」という名称もあらわれるが、蓮の茎が湾曲したさまを、象の鼻にたとえた「象鼻杯」という名が有名になった。中国では、蓮の花は泥水のなかにあって、泥に染まらないというので、世俗に染まらない君子になぞらえ、「花の君子」とされた。清らかなイメージをもつ植物であるからだろう、夏に象鼻杯で酒を飲むことが風流なこととされたらしい。文人墨客といわれる知識人たちが、蓮の杯で飲酒をした記録がいくつも残されている。現在でも蘇州では象鼻杯で酒を飲ませることがあるそうだ。
江戸時代後期に編纂された『古今要覧稿』という書物に、「蓮の葉茎を連ね採りて、葉の正中より茎に孔を明けて酒をつぎて、其茎の元より吸ふを薬なりとて、人のなす事なり」と記されている。してみると、日本にも象鼻杯が伝わったようだ。蓮根とおなじように、蓮の茎にはたくさんの通気口があいている。いくつもの小穴を伝わって酒が流れるので、かすかな香気が感じられ、清冽な味がする。
象鼻杯の一杯では、飲み助のわたしには、ものたりない。蓮池のそばにある「はす庵」というレストランで朝粥を食べたついでに、冷や酒を注文してしまい、朝起きをしたにもかかわらず、小原庄助さんになってしまった。「アー!もっともだー! もっともだー!」

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