Productions 『vesta』掲載
おすすめの一冊

『珈琲の世界史』(講談社現代新書)

旦部幸博
vesta112号掲載

待望の、そして実質的には日本人による初の「コーヒーの世界史」である。
 実質的に、と書いたのは、先行するコーヒーの歴史を扱った本として、臼井隆一郎氏の名著『コーヒーは廻り世界史は廻る』(中公新書、1992年刊)が存在するからだ。ただ、この本は、副題の「近代市民社会の黒い血液」の視線でコーヒーの引き起こした歴史的事象を追って解釈した、異端的とも言えるコーヒー史であり、著者自身、あとがきで「オフ・ロード」を辿った「寓話的なコーヒー物語の体(てい)」をとった、と述べている。
 それに対して、この『珈琲の世界史』は極めて調和のとれた、いわば本道ゆくコーヒーの通史である。
 コーヒーは、15世紀半ば、アラビア半島の南端部に、ある意味、唐突に歴史の表舞台に登場している。その後、ほぼ100年でイスラム圏全域に広がり、さらに17世紀初めにヨーロッパに伝わると、速やかにヨーロッパ諸国の生活に浸透して、最もポピュラーな嗜好飲料となった。一方で、ヨーロッパ、ついでアメリカのコーヒー市場の拡大に伴って、栽培地域も植民地を中心に熱帯・亜熱帯全域に拡大し、18世紀半ば以来、世界貿易において最大の商品作物であり続けている。
 こうしたことから、比較的歴史は浅いものの、消費国と生産国でコーヒーが関与した歴史な事象は多岐にわたり、事象の性格も異なるため、通史としてまとめるのは極めて難しい。
 本書は、消費国・生産国のコーヒー史を鳥瞰した上で、それぞれ歴史的に重要な事柄・エピソードを選んで解説をくわえながら、歴史の流れに沿って配置している。またコーヒーの歴史的エピソードには、著者が述べているように「純然たる史実よりは誇張や脚色の混じった物語」が数多く紛れ込んでいるが、「『本物のコーヒー』を味わうための『本物の物語』」が、真偽を切り分けながら紡がれている。
 新書という器の制約がありながら、コーヒー史上の重要な事柄はほとんど網羅され、巧みに構成された極めて優れたコーヒー史である。唯一バランスを崩しているとすれば、全体のほぼ2割を占める「コーヒーの始まり」の部分だろうが、イエメンとエチオピアの諸王国の興亡を軸にしたワクワクするような謎解きは、個人的には、この本に大きな魅力を与えていると思う。
 コーヒー史を知るための、優れた基礎文献の出現を喜びたい

辻静雄料理教育研究所 研究顧問 山内秀文