Productions 『vesta』掲載
おすすめの一冊

『コーヒーと日本人の文化誌 世界最高のコーヒーが生まれる場所』

メリー・ホワイト著 有泉美代子訳
vesta113号掲載

 日本の喫茶店は世界のコーヒー文化の頂点と聞くと意外に感じる人もいるだろう。しかし、日本のコーヒー消費量は世界第三位であり、高級コーヒーとして有名なブルーマウンテンの9割は日本に輸入されているコーヒー好き国なのだ。そこに至るには新しい振る舞いや美的感覚を創造し文化発信の場所となってきた喫茶店が果たした役割は大きい。そしていまでは、日本独自のカフェスタイルは日本製のコーヒー器具や習慣も含め、シアトル系チェーンに飽きたらないアメリカの人びとに受け入れられているという。

 

 「日本のコーヒー」がどのように生み出されてきたのか。その理由を、明治時代のカフェ黎明期から戦後大衆化した喫茶店の歴史をたどり、コーヒー職人や客たちへのインタビュー、東京と京都を中心に各地の現地カフェのフィールドワークから探るのが、本書である。著者はアメリカ人文化人類学者。1963年の初来日以降、飲み歩いてきた日本各地のカフェの経験と記憶から、個人経営の喫茶店の独特な空間、こだわりの味やサービス、店主の生き方を活写し、日本人と日本文化が考察される。

 

 明治以降、コーヒーは近代化を象徴する飲み物として普及したが、すぐに外国文化とはみなされなくなる。西洋風であったコーヒーの日本化が成功したのにはブラジルの戦略があった。ブラジルは日本から大量の移民を受け入れてきたが、初期移民の多くがコーヒー農園の労働者だった(世界初のコーヒーチェーン「カフェパウリスタ」を開いたのは移民仲介者の水野龍だった)。日本人移民たちによりブラジルのコーヒー産業は発展しブラジルからの流通が確立され、カフェも西洋と異なる展開を見せることとなったのだ。

 

 コーヒー自体の飲み方を紹介するのに加えて、本書はサード・プレイス論に依拠しつつ、公共空間としての喫茶店の役割を解き明かす場所論でもある。著者は、現代日本の都市生活には家庭や職場を離れ社会的役割から自由になれる空間が不足しており、それが可能になる空間が喫茶店であるという。カフェは、密集した都市空間において何もせず一人でいられる擬似的な私的空間であるいっぽうで、(交流したければ)マスターや常連客と当たり障りのない関係を築ける場所でもある。そうした「余白」として文化的に多くを求められない場所であることが、日本のカフェの多様性を可能にしているという指摘には、たしかに日本文化の一面を表しているのかもしれないと思わされた。

 

 個人的には、評者が学生時代に通った京都の喫茶店が多数取り上げられていて懐かしく感じるとともに、行ったことのあるあの店にはこんな歴史があったのか!という驚きがあった。著者の日本人論や日本文化論には違和を感じる人もいるかもしれない。しかし本書は、日本のコーヒー文化を世界に紹介した初の文献といえ、翻訳を通して日本のカフェ愛好家たちが自らの飲み物と場所を世界的に見直すきっかけとなるはずだ。ここから日本のコーヒー文化をめぐる議論が活発になるよう願う。

明治学院大学教員 安井大輔