左:エスカルゴのサラダ/右:スーパーのエスカルゴを焼いたもの

昨年の晩秋、酩酊先生はフランスの研究所から招聘されて、お目付役の保護者同伴でパリに一ヶ月滞在した。台所つきの宿舎であったので自炊もしたが、外食がおおく、ワインとフランス料理を堪能する日々であった。

帰国して体重計にのってみると、3キロちかく肥えていた。現在は保護者の監視下で、肉や脂肪のすくない食生活を送る日々である。

学生時代、わたしは考古学を専攻していた。なんという本だったか忘れてしまったが、英書講読のときに、ヨーロッパの新石器時代の貝塚発掘の報告書を読まされた。その貝塚からはスネイル(snail)がたくさん発見されたと書いてあった。わたしの英和辞典には、スネイルは巻き貝と記されていた。はて、海から遠く離れた遺跡なのに、どうして大量の巻き貝が出土するのだろう?首をひねっていると、それは陸産の巻き貝でエスカルゴのことだと、先輩が教えてくれた。

ヨーロッパでは、新石器時代からエスカルゴを食べており、古代ローマ人はエスカルゴの養殖場をもっていたという。中世には、肉断ちの日にもエスカルゴは食べてもよいので、大量に食べていたという。エスカルゴがフランスの名物料理になったのは19世紀のことである。


わたしが、エスカルゴをはじめて食べたのは、1966年に、東アフリカの調査の帰りに、はじめてパリに寄ったときのことである。その頃、わたしは貧乏であった。フランスに来たのだから、エスカルゴというものを食べてみたい。しかし、ちゃんとしたレストランにはいるお金はなかった。
街の総菜屋をひやかしていると、エスカルゴを売っていたので、それを買って、安宿で食べてみた。殻をほじくって、口にしてみると、ちっともうまくない。どうして、フランス人はこんなものを珍重するのだろうと、疑問に思ったことである。後になってわかったことであるが、わたしはオーブンで焼いて食べる料理を、そのまま食べられる総菜と誤解して、生のまま食べたのである。

いちばんよく食べられるエスカルゴ料理が、エスカルゴのブルゴーニュ風(エスカルゴ・ア・ラ・ブルギニョンヌ)である。まず、エスカルゴの身を殻からはずして、白ワイン入りのスープで煮ておく。ついで、エシャロット、ニンニク、パセリのみじん切りに混ぜたバターと、身をふたたび殻にもどし、高熱のオーブンにいれて、焼きつける。バターが沸騰している、熱いうちに食べる料理である。それを、生のまま食べて、うまいはずはない。

若い日のかたきうちに、今回のパリ滞在のとき、スーパーの総菜売り場で、エスカルゴのブルゴーニュ風を買ってみた。エスカルゴを焼くには、陶器でつくった、タコ焼きの鉄板のように半球形のくぼみのついた専用の皿がある。スーパーでは、厚手の銀紙の底にくぼみをつけて、そのままオーブンにいれたらよい容器にいれて売っている。

宿舎のオーブンで焼いて、口にしてみた。濃厚なエスカルゴ・バターの味に、赤ワインがよくあう。日本では、エスカルゴのかわりに、小形のサザエを使って、つくってもよい。

殻つきで焼くほかにも、さまざまなエスカルゴ料理がある。オーベルニュ地方の田舎のレストランで食べたエスカルゴ料理が、左の写真である。生ハム添えの野菜サラダの上に、味つけして煮たエスカルゴの身だけを、豚肉、キノコとソテーしてのせた料理である。黒い色をしているのがエスカルゴである。

日本でも、かっては飛騨地方でクチベニマイマイというカタツムリを焼いて、子どものおやつとしたそうだが、一般にユーラシア大陸の東側では、陸産の巻き貝を食用にすることは発達しなかったようである。

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