サバのヘシコ

サバのヘシコ

福井県小浜市に、「御食国若狭おばま食文化館」がある。「食のまちづくり」で全国に知られる小浜市が設立した、日本で唯一の公立の食の博物館である。
食文化館では、小浜の食文化を展示するだけではなく、料理や食品つくりを体験できるキッチンスタジオが設備されている。隣接する食事処「濱の四季」では、地元の女性グループがつくる郷土食や、小浜の食材を使って創作された、あたらしい郷土料理を味わうことができる。若狭に出かけるときには、ぜひとも食文化館へお立ち寄りください。とは、同館の名誉館長をつとめる酩酊先生からの伝言である。
小浜に出かけると、名物の焼きサバ、小鯛の笹漬けのほかに、サバのヘシコを買って帰る。
ヘシコとは、サバ、イワシ、フグなどをヌカ漬けにした食品である。東北、北陸の日本海沿岸でつくられ、「こぬか漬け」、「ぬか漬け」という地域もおおいが、若狭湾から鳥取県にかけての沿岸では「ヘシコ」という。
塩漬けにした魚に米ヌカをまぶし樽詰めし、重石をして、塩漬けにしたとき魚体からでた塩汁をかけて、夏を越させて半年以上発酵、熟成させると、ヘシコができあがる。魚の漬けもので、長期間保存できる。発酵中に魚肉の蛋白質の一部が分解して、ペプチドと遊離アミノ酸が生成され、うま味のつよいグルタミン酸のおおい食品である。日本海側の食べ物なので、関西でも大阪人はヘシコを知らない人がおおい。しかし、小浜を起点とする鯖街道の終点にあたる京都ではヘシコを食べていた。わたしは、京都で過ごした学生時代、居酒屋でヘシコを注文するのであった。たいへん塩辛いので、ヘシコを耳かき1杯分くらいつまんで、お猪口1杯の酒を飲むことができる。貧乏学生には安あがりの酒肴として愛用した。
普通はヌカを取り去り、軽く焼いて食べるのだが、小浜に出かけるようになって知ったのが、ヘシコの刺身である。サバのヘシコを薄切りにして、酒で洗って、そのまま食べるのである。塩辛いなかに、コクのあるうま味が感じられ、日本酒がすすむ。バルサミコ酢とオリーブオイル、好みのハーブを混ぜたソースであえると、ワインのつまみにもなる。酒の肴だけではなく、ヘシコをアンチョビのかわりにパスタ料理に使ってもよい。
タクアンのような野菜のヌカ漬けがあらわれるのは江戸時代になってからである。江戸時代に回転式の籾すり臼が普及し、籾すりをした玄米を精白をするようになってから大量の米ヌカが得られるようになって、ヌカ漬けがつくられるようになった。魚のヌカ漬けも江戸時代に普及した食品であろう。わたしは東アジア・東南アジアの魚の発酵食品の調査をしたことがあるが、魚のヌカ漬けをつくるのは日本だけである。小浜には、ヘシコに米飯を混ぜて、あらためて漬けこんでつくるサバのナレズシもある。
わたしがヘシコを食べると、家人に「そんな塩っぱいもんを、食うたらあかん」と、お小言をいわれるのが常であった。ところが、福井県立大学副学長で水産食品科学工学を専攻する赤羽義章教授の研究により、ヘシコやナレズシは身体によい食品であることが解明された。ヘシコとナレズシに含まれるペプチドには、血圧を低下させる作用があり、悪玉コレステロールの増加を要請し、善玉コレステロールを増加させる機能をもつということである(赤羽義章「伝統食の機能性―マサバ発酵食品のヘシコとナレズシを例に」岩田三代編『伝統食の未来』 ドメス出版 2009年)。
おかげで、塩分のとりすぎにならないよう適量を食べたら、ヘシコは健康食品であると、理屈をこねながら食べられるようになったのである。

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