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世界の麵の文化史
1987-1990.12

モンゴルの麵
ゴリルとゴエモン
モンゴル語では、麵をゴリルgurilという。
コムギ粉のこともゴリルという名称でよぶ。
中国で、麵という言葉がコムギ粉と麵条(ミエンテイアオ)の両方をしめすのとおなじである。
内モンゴルでは麵をメントールmentorとよぶことが多いが、これは中国語の麵頭児(ミエントウル)がなまったものだろう。
中国語の麵条をそのままに、メンティアオをよぶこともある。
また、乾麵のことをゴエモンgoemonといい、中国で切り麵を乾燥させたものを掛麵(ゴウミエン)ということに由来していると考えられる。
自家製の麵つくりには、手延べ製麵法と切りだし製麵法がある。
コムギ粉のほかには,ハダカエンバクの麵がつくられる。
ハダカエンバクは、はやくから農耕に従事するようになったモンゴル族が栽培する作物である。
手延べ製麵法は,コムギ粉よりもハダカエンバクで麵をつくるときによく用いられる。
モンゴルの麵料理



麵の製麺風景



麵の調理風景





ハダカエンバクの製麺風景





ハダカエンバクの麵の調理風景







↑自家製の手打ち切り麵よりも、ほそい機械製麺でつくる乾麺をゴエモンとよぶ。現在の外モンゴルでは、コムギの自給率が100パーセントを超えているので、機械製麺のゴエモンがよく出回っている。

麵食の普及
遊牧民であるモンゴル族は、いつごろから麵を食べ始めたのだろうか。
元朝成立前のモンゴル高原で遊牧生活を送っていた彼らが麵食をしていたとは考えづらいため、中国を征服し、帝国をきずいた元の時代(1279-1368)以降のことであろう。
元代の宮廷の食生活を知ることのできる文献に『飲膳正要』(1330年)があるが、そのおおくが中国起源の麵料理であることがわかる。
上流階級の人々に限っていえば、元代に中国の麵食文化にふれ、明代になってからより麵食が浸透し、清朝の時代に再び中国と密接な関係となって上流階層の麵食文化は完成したものと考えられる。
しかし、一般の民衆に関しては、20世紀になってモンゴルの農業生産が増大してからやっと麵食の浸透がみられたと考えるのが適当である。
このことを踏まえると、モンゴル族の麵食の普及には元・明代、清代、現代の3段階で成り立っているといえる。
モンゴル語での麵や麵料理に関する語彙が貧弱であることも、麵食の普及が、案外新しいことであることを物語っているといえるかもしれない。
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