- ABOUT
- 石毛直道とは
年譜
- 1937年
11月30日 -
石毛直道生まれる千葉師範に勤務する父の任地の千葉県千葉市にて誕生。代々教育者の家庭であった。
幼稚園児の頃「将来は蕎麦屋の小僧になる」と発言する。
1940年代少年・石毛直道
- 1944年4月
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6歳銚子市興野国民学校に入学。小学校時代は銚子市→柏町→野田市と転校する。
- 1945年3月
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7歳空襲で実家が消失する。
私は「サツマイモ・ジェネレーション」である。食糧難の時代にはサツマイモばかりを食べた。既に一生分は食べただろう。
1950年代料理と考古学の虜に
- 1950年4月
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12歳千葉県野田市立第二中学校に入学。
この頃、考古学に興味をもち、千葉県北部の遺跡めぐりをするようになる。 - 1953年4月
-
15歳東京都立上野高校に入学。
考古学と文学にかぶれた少年であった。同時に海外への憧れをつのらせる。 - 1958年4月
-
20歳2年の浪人生活を経て、日本で最初に考古学科が出来た京都大学文学部に入学。学生クラブ探検部に入部する。
伏見区の寺院の屋根裏の下宿を皮切りに結婚までの11年間に16回転居する。
この頃、下宿で金だらいを使い牛乳を沸かし、塩、コショウ、うどん玉を入れて煮たのが最初の料理経験であった。
酒とタバコに深く馴染み、焼酎をよく飲んだので「チュウの石毛」とあだ名された。
1960年代石毛直道・世界へ
- 1960年
6月~11月 -
22歳大学2年生、京都大学探検部トンガ王国調査隊に参加。
トンガで考古学的な遺跡を探すうちに現代の貝塚に興味を持ち、民族学(=文化人類学)に関心を寄せる。
トンガ調査の際、料理当番になり料理の面白さに目覚める。 - 1961年4月
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23歳教養課程で1年留年後、京都大学文学部史学科(考古学専攻)に進学。
若手学者の研究会「青年人類学会」の常連になる。 - 1963年3月
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25歳京都大学文学部史学科卒業。卒業論文は『日本稲作の系譜』。
- 1963年4月
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25歳京都大学大学院文学研究科(考古学専攻)に進学。
この頃、考古学から民族学に変更すると決意する。
別荘の留守番中に婦人雑誌の料理の手引きを参考に毎回違う料理を3ヶ月作り続け料理の腕をあげる。 - 1963年
8月~
1964年4月 -
25歳〜26歳京都大学西イリアン学術探検隊に参加、ニューギニア高地の未探検地域のフィールドワークに従事。その後もジャカルタでインドネシア政府との折衝と資料収集を行う。
ジャカルタで日本の商社マンの家に下宿。メイドさんがつくるナシゴレンで初めてトラシ(小エビの塩辛ペースト)に出会い関心を持つ。 - 1964年
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26歳「梅棹サロン」のメンバーを中心とする「京都大学人類学研究会(近衛ロンド)」設立の発起人の一人となる。
- 1965年11月
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27歳京都大学大学院文学研究科修士課程を中退。京都大学人文科学研究所助手に採用され、梅棹忠夫助教授の主宰する社会人類学部門に所属する。
- 1966年
7月~
1967年3月 -
28歳〜29歳日本学術振興会アフリカ現地駐在員になる。主としてタンザニア内陸部でフィールドワークを行う。
この頃から研究の資料として写真を撮り始める。 - 1967年
12月~1968年5月 -
30歳「京都大学大サハラ学術探検隊」に参加。人文科学研究所の梅棹忠夫助教授、谷泰助手とリビア砂漠のオアシスでフィールドワークを行う。その後、冒険商人のトラックキャラバンに参加、単独でリビア砂漠を縦断、地中海からチャド湖までの旅をする。
この頃、初の著作『食生活を探検する』を執筆する。フィールドワークの記録から、食と住居についての考察を始める。食物史研究者の篠田統氏の自宅を頻繁に訪れ薫陶を受ける。 - 1968年10月
-
30歳入江卯女(うめ)と結婚。京都市左京区田中西浦町に住む。
- 1969年8月
-
31歳初の著作『食生活を探検する』を文藝春秋より刊行。翌年の第1回大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補まで残る。
- 1969年8月
著書刊行
-
食生活を探検する
文藝春秋
食に関する最初の著作。アフリカのサバンナやトンガ王国,ニューギニア高地などでのフィールドワーク中に出会った現地の食材や食習慣を思わず情景が目に浮かぶような楽しいエピソードとともにつづったエッセイ集。
文化の相違というようなことは,感覚的にのべたり,歴史的に説明されるが,はっきりした形のうえで比較することがなかなかむずかしい。食事という行為は,世界じゅう普遍的な現象であって,しかも調査のやりやすいことがらである。そこで,文化の比較研究などには,もってこいの手段となり得る。料理人類学という分野を開拓してみてもよさそうだ(著者あとがきより)。本人による説明
31歳のときに刊行したわたしの最初の著書である。当時はわたしは京都大学人文科学研究所の助手で,給料が安く,また飲み助なので京都の安飲み屋の何軒かにツケがあった。30歳のとき結婚がきまり,借金の返済と結婚資金が必要になったため,売れる本を執筆するしかないと考えた。そこで思いついたのが,オセアニアやアフリカで体験した食事に関するエッセイを中心とした本をつくることであった。世界の辺境地域を訪ねて野外調査をおこなってきたわたしは食いしん坊でもあるので調査地での食事の記述がおおい。当時は食を題材に一般読者向けの本といえば文人の余技としての食味随想くらいしかなかったので,人びとに新鮮に影響をあたえたようでおおくのマスコミの書評にとりあげられた。この本のあとがきに,「わたしにとって料理をつくることは遊びにすぎない。たべるために生きている人間ではないのである」と述べている。当時は自分の本業は社会人類学や物質文化の研究をすることであり,食に関する事柄は遊びであると思っていた。のちに食文化研究を志すようになると,わたしは「食べるために生きている」人間に転向したのである。
1970年代食文化の研究に着手
- 1970年1月
-
32歳『季刊人類学』の初代編集長役を担当する。
この頃、食文化の研究に取り組み始めた私は、学問の正道から逸脱した道楽者と一部から心配される。植物学者の中尾佐助氏から「君はおもしろいことを始めたな」と励まされ勇気づけられる。 - 1971年3月・4月
-
33歳京都大学人文科学研究所を退職。甲南大学講師(文学部)に就任。
- 1973年4月
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35歳甲南大学助教授(文学部)に昇進。
- 1973年11月
-
35歳民族学振興会から第7回渋沢賞を受賞。『住居空間の人類学』(鹿島出版会 1971)に対して。
この頃、食文化と物質文化を二本柱に研究を続ける。 - 1974年3月・4月
-
36歳甲南大学文学部助教授を退職。国立民族学博物館助教授に就任。
- 1974年9月〜11月
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36歳東南アジアで国立民族学博物館の展示資料収集に従事。
- 1975年7月
-
37歳大阪府茨木市紫明園に転居。以来引越しはしていない。
- 1975年10月〜12月
-
37〜38歳国立民族学博物館タイ・オセアニア展示資料収集に従事。
- 1976年8月〜12月
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38〜39歳国立民族学博物館ハルマヘラ調査隊の隊長として、ハルマヘラ島の現地調査を行う。
この頃、私は食に関する研究について照れがあり「これは私の遊びなんです」と言っていたのだが、食物史学者の篠田統氏が「青木正皃(中国文芸研究の第一人者)は食物に関してよく調べて書いているが、食いもののことは本業ではなく遊びだと称していたのはけしからん」と評したのを聞き、それからは自分の本業だと言うことにした。 - 1979年
5月 -
41歳生涯の盟友である作家小松左京氏とイースター島へテレビの取材旅行。
- 1971年3月
著書刊行
-
住居空間の人類学
鹿島出版会
物質文化の研究は,人類学の主流から姿を消してしまい,目に見えて理解されるものだけに安易にとりあつかわれ,理論が確立しないまま個別的知識の段階にとどまってしまっている。しかし,人間の使用するものは,単なる物体ではなく社会や文化が投影されているし,逆に社会や文化をものが規定する。ものは意味をになっている。わたしは,しばらく衣食住などの物質文化についての比較研究を試みることによって,ものと人間のかかわりあいに関するわたしなりのかんがえを組みたててみたいと思う。本書はそのような作業で,最初にまとめたもので,「人間にとって住居はどのような意味をもつのか?」という普遍的な問題を含む住居論である(著者あとがきより)。
本人による説明
人間の使用するものは単なる物体ではなく意味をになっている。衣食住などの物質文化についての比較研究を試みることによって,ものと人間の関わり合いに関する考えを組み立ててみたいという思いからまとめたもので,「人間にとって住居はどのような意味をもつのか?」という普遍的な問題を含む住居論である。
- 1972年
著書刊行
-
Energy31号 世界の食事文化
- 1973年6月
著書刊行
-
リビア砂漠探検記
講談社
リビア砂漠に生活するベドウィン族の生活誌としてもっとも詳細な人類学的記述。とくに砂漠の遊牧民たちが現代文明の波を受けて伝統的な生活を次第に変化させつつある状況がいきいきと描かれている。また,探検記としての面白さがあり,冒険精神に満ちた人類学者によって書かれた充実の紀行文。
- 1973年9月
著書刊行
-
世界の食事文化
ドメス出版
それまで目を向けられることの少なかったアフリカやニューギニアなどの食事を対象として含め,「世界の常食」と題した分類などを含む文化としての食生活研究。エッソ・スタンダード石油株式会社が発行していた季刊誌「Energy」掲載の氏監修の特集「食事文化」をもとに,新しい原稿を加えて編集したもの。
本人による説明
「料理」と「共食」を中核にすえて食を考える立場が決まり,具体的な論を展開するための基礎となる分布図ができたことで本格的に食文化に取り組むようになったのが1970年代前半からのことである。『世界の食事文化』はその頃の編著であり,わたしの食文化論の原点といえる。この本のタイトルには「食事文化」ということばが使われているが,当時は食文化ということばはなかった。「料理」の文化と「共食」の文化が交錯する場が「食事」であり,わたしは食事に関する文化を「食事文化」と名づけた。そしてわたしは自分が開拓しようと志した分野を「食事文化」と呼んでいたのである。
- 1976年
著書刊行
-
食卓の文化誌
- 1979年11月
著書刊行
-
食いしん坊の民族学
平凡社
『太陽』に1978年7月からの1年間,「食いしん坊の民族学」というタイトルで掲載した記事をもとに,他の雑誌に書いた料理関係の習作を転載し単行本にまとめたもの。民族学的方法による料理文化論というよりは,食いしん坊の民族学者が書いた料理に関するエッセイ集。
1980年代世界を駆け巡る①
- 1980年2月
-
42歳味の素㈱の「食の文化シンポジウム」に企画から参画。
81年、82年の同シンポジウムにも参画する。 - 1980年3月〜5月
- 1980年8月〜9月
- 1980年10月〜11月
- 1980年11月〜12月
-
42〜43歳ロスアンジェルスの日本料理店の調査。小山修三・国立民族学博物館助教授、山口昌伴・GK研究所研究員、栄久庵祥二・GK研究所長が同行。なぜアメリカ人が日本食を食べ始めたのかを中心に調査。トヨタ財団の研究助成による。
代表的な食文化研究旅行④ - 1980年
4月~
1985年3月 -
42〜47歳国立民族学博物館共同研究「東アジアの食事文化の比較研究」を行う。
- 1981年9月〜10月
-
43歳英国、欧州各国へ。第1回オックスフォード大学「食物と料理国際シンポジウム」参加と国際交流基金主催の日本の食文化講演。
- 1982年6月〜7月
- 1982年7月
-
44歳味の素㈱主催「食の文化フォーラム」が開催される。学際的な研究集会であり、今日まで継続している。第1年度のテーマは「食のターミノロジー」。私は第16年度まで企画・総括を担当した。
- 1982年10月〜12月
- 1983年3月
- 1983年8月
- 1983年11月
- 1983年12月
-
46歳日本生活学会研究奨励賞を受賞。「ロスアンジェルスにおける日本料理店の研究」に対して。小山修三氏、山口昌伴氏、栄久庵祥二氏とともに。
- 1983年
4月~
1991年3月 -
45〜53歳国立民族学博物館共同研究「現代日本における家庭と食卓―銘々膳からチャブ台へ」を行う。
- 1984年1月〜2月
- 1984年
11月~
1985年1月 - 1985年7月〜8月
- 1986年7月
-
48歳国立民族学博物館教授に昇進。
- 1986年11月
-
48歳東京農業大学から「魚介類の発酵製品に関する研究」で農学博士号を授与される。
- 1985年7月〜8月
- 1987年
-
49歳日清食品本社ビル内の図書館「FOODEUM」に展示する「麵の系譜図」を作成するため「麵の系譜研究会」が結成されメンバーとなる。
以降、麵食文化について本格的な研究を開始する。 - 1988年11月
- 1989年7月〜8月
- 1982年1月
著書刊行
-
食事の文明論
中央公論社
食事と宗教,食の「民主化」など
当時の著者の食に関する思想の骨格をまとめた著作。本人による説明
わたしが45歳の時,文明論の立場から食を総合的に考察した最初の著作である。文明論とは個別的な文化のちがいをのりこえて,普遍的にひろがる事実に注目しておこうとする立場である。人類の食事の文明とはいったいどういう志向性をもつのか、そのような流れの方向にたいしてわたしたち日本人の食事文化はどう位置づけられるのかを問いかけた本である。
- 1983年11月
著書刊行
-
食の文化フォーラム 食のことば
ドメス出版
「食の文化フォーラム」シリーズの一冊目となる『食のことば』は,「食」に関係する語彙を言語学的観点から分析する学際的な研究活動の成果。3回にわたる「食のターミノロジー」に関する食の文化フォーラムの全記録を編集したものに加え,座談会も収録されている。
本人による説明
文化や社会の基礎をつくりあげた食を総合的に考えるためには学際的な討論の場が必要であり,食文化研究の基礎をつくりあげるにあたっては日本文化という枠内にとどまらず,世界を視野に入れる必要がある。そのような場を提供してくれたのが味の素株式会社と財団法人味の素食の文化センターである。1982年にはじまり,現在も継続されている「食の文化フォーラム」は,多分野の研究者が集まって研究集会をひらき,毎年その記録を出版している。1982~1998年度まで16回にわたる第一期ではわたしがコーディネーターをつとめた。「食のことば」はその内容をまとめたものの一冊である。このシンポジウムとフォーラムのシリーズがわが国における食文化の基礎をつくりあげてきたのである。
- 1984年3月
著書刊行
-
週刊朝日百科『世界の食べもの』
朝日新聞社
『朝日百科 世界の食べもの』は,実用的な料理書やガイドブックでも,学術書でもない新たな視点から,食べものについてのあらゆる知識・情報を集大成するものとして編まれた。人類が築き上げてきた巨大な文化遺産として「食」にまつわる文化事象をまとめ上げる。豊富なカラー写真で眺めているだけでも楽しい食の百科事典。1980年12月~1983年8月にかけて140分冊刊行,1984年には全14冊と索引を中心にした別冊1冊にまとめた合本版が発売。140分冊のうち,80分冊が世界各地の食,40分冊が日本の食,20分冊はテーマ編で『乳と乳製品の文化』など。
本人による説明
『世界の食べもの』の特徴は,世界の従来の食に関する事典,全集では取り上げられることのなかった地域をふくめ全地域をカバーしていることと,料理つくりの技術よりも食文化の考察に焦点があてられていることである。この事典の企画にあたり同じ監修者である中尾さんとつよく主張したのは,食を本来のナチュラル・ヒストリー,すなわち,地域の環境を記述し,そこでの植物・動物の生態と人間のあり方までを枚挙,網羅する野外科学の立場からあつかうことであった。ナチュラル・ヒストリーの基盤があって,近代生物学が生まれた。おなじように食文化というあたらしい分野を確立するための基礎作業として,世界のさまざまな環境における食生活の実態を枚挙することが,この事典の使命であると主張したのである。わたしは監修とともに,28の記事を寄稿しているが,この事典の作成にかかわることで,自分の行ったことのない地域の食についても知ることができ,わたしなりに世界の食文化を展望することができるようになった。
- 1984年3月
著書刊行
-
ハオチー!鉄の胃袋中国漫遊
平凡社
雑誌「太陽」に1983年1月号~12月号まで連載された『好吃!鉄の胃袋中国漫遊』に加筆したもの。取材旅行では上海,鎮江,揚州,南京,重慶,北京,済南,徳州,広州,珠海を訪れた。中国料理を概観する本ではなく,広大な領域をもつ中国料理の中から石毛流のつまみ食いをした記録。
- 1985年
著書刊行
-
食の文化シンポジウム'80 人間・たべもの・文化
平凡社
日本における食に関する学際的研究の最初の試みと位置づけされるシンポジウムの内容をまとめたもの
本人による説明
1979年に味の素株式会社は創業70周年をむかえることになり,その記念事業として,企業の社会貢献としての文化事業をおこなうこととし,「食の文化センター準備室」は発足した。その事業の一つとして3年間にわたる「食の文化シンポジウム」シリーズを開催することになり,私が企画を担当することになった。40歳になったばかりの若僧の助教授であるわたしに大きな社会的イベントをまかせるというのである。わたしは食にくわしい知人の荻昌弘さんと小松左京さんに相談にのってもらい3回のシンポジウムすべてに出演してもらうことにした。霊長類学,生理・栄養学,農耕文化論,牧畜文化論,思想史など,各分野の第一人者がパネラーとして参加し,文化の視点から食を学際的に討論したこのシンポジウムは,以後の食文化論の出発点となるものであった。3回のシンポジウムの社会的反響は大きく,これによって「食の文化」ということばが市民権を得ることになった。
- 1985年6月
著書刊行
-
ロスアンジェルスの日本料理店「その文化人類学的研究」
ドメス出版
アメリカにおける日本料理の流行を,文化変容という視点から読み解いていく。アメリカの日本人コミュニティやエスニック・ビジネスの歴史を概観しながら,献立や料理,店構えや道具立てがどのような変化をきたし,アメリカ人に受容されているのかを明らかにしながら日本食のイメージについても論じている。食品会社や料理人のインタビューも多数収録。
本人による説明
世界的な日本料理ブームを受け,1980年に小山修三,山口昌伴,栄久庵祥二さんとわたしの研究チームは「アメリカにおける日本食の研究-文化輸出の事例研究」という題目でトヨタ財団の研究助成をうけ,ロスアンジェルスで現地調査をおこなった。わたしたちが知りたかったのは「なぜ,アメリカ人が日本食を食べはじめたのか」ということであった。約50軒の日本料理店を訪れて調査をし,69項目におよぶアンケート票を約600人のアメリカ人から記入してもらった。その調査をまとめたものである。結果は学会で発表し,3編の論文を寄稿したうちの一つ「日本料理の実態とイメージ」をわたしが執筆した。
- 1985年8月
著書刊行
-
論集 東アジアの食事文化
平凡社
国立民族学博物館における共同研究「東アジアの食事文化の比較研究」班の研究報告書。東アジアにおける食品加工技術,料理法,食器,食事作法,食事に関する観念などを比較研究し,日本の食事文化の系譜論的研究の基礎をかためる意図でなされた共同研究の成果をまとめたもの。食をめぐる文化は食事の場にもっとも強く反映されているという考えかたにもとづき,共同研究および本書のタイトルは「食事文化」ということばを採用した。食卓から食の文化をながめていことする立場をとるのである。(石毛氏まえがきより)
本人による説明
国立民族学博物館における共同研究「東アジアの食事文化の比較研究」の研究報告書。東アジアにおける食品加工技術,料理法,食器,食事作法,食事に関する観念などを比較研究し,日本の食事文化の系譜論的研究基礎を固める意図でなされた研究成果をまとめたもの。
- 1988年6月
著書刊行
-
はじまりはトンガ 南太平洋フィールドノート
平凡社
1960年代前半,石毛のフィールドワーカーとしての仕事はトンガにはじまり,次いでニューギニアの中央高地の探検に従事した。その後,アフリカの現地調査,そして東南アジアと東アジアの調査に集中するようになった。本書は南太平洋のフィールドから離れた石毛にとっての紙上のセンチメンタル・ジャーニーとして編まれたもの。
1990年代世界を駆け巡る②
- 1990年4月〜5月
- 1990年8月〜9月
- 1990年12月
- 1992年10月
- 1992年
4月~
1995年5月 -
54〜57歳国立民族学博物館共同研究「酒と飲酒の文化」を行う。
- 1993年
-
54〜57歳インド・ジャイプールホテル,ターリーセットを手食する。
- 1996年7月〜8月
- 1996年12月~
1997年1月 - 1997年
4月 -
59歳国立民族学博物館館長に任命される。
- 1998年
6月 -
60歳『講座 食の文化』全7巻の監修を行う。(財)味の素食の文化センター発行。1998年10月刊行開始、99年12月完結。
- 1998年
11月 -
60歳韓国慶州市名誉市民に任命される。北京大学日本研究中心顧問に任命される。
- 1999年
10月 -
61歳日本生活学会から第25回今和次郎賞を受賞。『講座 食の文化』監修の功績に対して。
- 1999年
11月 -
61歳大阪市民表彰。
- 1991年9月
著書刊行
-
文化麺類学ことはじめ
フーディアム・コミュニケーション
中国,朝鮮半島,モンゴルなど世界各地でどのような麺が食べられているかおよびそれらの起源と伝播を調査,麺の文化を考える上での基礎となると著者が位置づける著作。
- 1991年12月
著書刊行
-
現代日本における家庭と食卓-銘々膳からチャブ台へ-
国立民族学博物館
場や物質としての食卓の変化に着目することで,日本における家庭の歴史を紐解こうとする学際的な観点から行われた「食卓をめぐる共同研究」の報告書。特にちゃぶ台の系譜と変遷に照準が合わされ,配膳法の変化や一家団欒のイデオロギーの受容実態を文献調査および聞き取り調査を通じて明らかにすること,いわば日本における食卓生活史を記述することが目指されている。共同研究者による9編の論文のほかに,家庭での食事風景の変遷を物語る聞き取り調査の記録,国立民族学博物館所蔵の332点の食卓や食膳資料のリストや写真,実測図が収録されている。
本人による説明
家庭の食の営みは,台所と食卓を中心にくりひろげられる。料理の場である台所においては,食材と加工技術をめぐる食の物質的側面が展開される。食事の場である食卓の主役は家族であり,食卓における人びとのふるまいかたを規定するのは食の精神的側面である。本書は食卓から家族をみようとする試みである。人目にふれることの少ない学術書ではあるが,近代日本の家庭の食事を考察するさいの基本資料として活用されることを願うしだいである。
- 1992年3月
著書刊行
-
乳利用の民族誌
中央法規出版
全世界の牧畜社会の乳利用に関する論集。現代に生き残る産業革命以前の乳利用の諸相を集成することで,欧米型乳食体系からのみでは捉えきれない人間による豊かな乳利用の文化史を記述することが目指されている。
本人による説明
全世界の牧畜社会の乳利用に関する論集。世界各地でフィールドワークを行った人類学者の現地報告を集めたもので,現代に生き残る産業革命以前の乳利用の諸相を集成することで,欧米型乳食体系からのみでは捉えきれない人間による豊かな乳利用の文化史が記述されている。
- 1992年12月
著書刊行
-
飲食文明論(『食事の文明論』の中国語版)
黒竜江科学技術出版社
全世界の牧畜社会の乳利用に関する論集。現代に生き残る産業革命以前の乳利用の諸相を集成することで,欧米型乳食体系からのみでは捉えきれない人間による豊かな乳利用の文化史を記述することが目指されている。
本人による説明
わたしが45歳の時,文明論の立場から食を総合的に考察した最初の著作である。文明論とは個別的な文化のちがいをのりこえて,普遍的にひろがつ事実に注目しておこうとする立場である。人類の食事の文明とはいったいどういう志向性をもつのか,そのような流れの方向にたいしてわたしたち日本人の食事文化はどう位置づけられるのかを問いかけた本である。
- 1995年
著書刊行
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魚醤とナレズシの研究 モンスーン・アジアの食事文化
修学社
「魚醤とナレズシの研究 モンスーン・アジアの食事文化」の韓国語版
- 1995年1月
著書刊行
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食の文化地理 舌のフィールドワーク
朝日新聞社
週刊朝日『世界のたべもの』に寄稿した文章から食の文化の地理学的広がりに関する内容を選び,ほかの媒体に発表した文章も加えて編集したもの。「諸民族の食事」,「日本の食事」,「食べものからみた世界」の3部から成り,諸地域の風土や歴史と食生活の関連,日本人の食生活の位置づけ,通文化的視点にたつ論考などから構成。
- 1995年2月
著書刊行
-
[新版]韓国の食 黄慧性+石毛直道
平凡社
黄慧性(ファンヘソン)教授との対談をまとめた本。黄慧性教授は,韓国における食文化史の開拓者である李盛雨(イソンウ)博士とも親しく,朝鮮王朝の宮廷料理の技術を伝承する韓国の人間国宝であり,韓国各地の民族食の記録研究を行った女性研究者。
- 1997年
著書刊行
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モンゴルの白いご馳走 大草原の贈りもの「酸乳」の秘密
チクマ秀版社
- 1998年10月
著書刊行
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論集 酒と飲酒の文化
平凡社
酒造りと飲酒・酩酊に関する共同研究をまとめた論集。世界の主要な酒造法を類型化し,その分布および系譜的考察がなされる。また,各地の飲酒に関する慣習の民族誌的検討から,飲酒や酩酊に対する観念の比較文化的研究が行われている。特に東アジアに重点をおくことで,日本の酒造りと飲酒の文化的位置づけを明らかにしようという試みも行われている。
本人による説明
1992~1994年度の3年間国立民族学博物館でわたしを研究代表者としておこなった共同研究「酒と飲酒の文化」をとりまとめたものである。酒に関する研究は,醸造技術や商品としての酒の醸造に関しては膨大な蓄積があるが,文化的研究および体系的に飲酒文化論を考察する試みはきわめてすくない。また,酩酊に関する社会的な評価の比較研究もなされていないようである。このような現状で,問題の所在を明らかにし,個々の研究者がさまざまな分野からの考察を加えることで多様な酒の世界についての認識をあらたにする機会となる共同研究は有効であった。しかし,研究代表者としてはそれらをまとめて収斂の方向性も提示しなければならないということでわたしが執筆したのが序論である「酒造と飲酒の文化」である。
- 1998年10月
著書刊行
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講座 食の文化 第一巻 人類の食文化
財団法人味の素食の文化センター
食の文化シンポジウム,フォーラムの成果が集大成されたもの。食べものや食事に関する人間の観念や価値の体系を学術的に読み解いていこうとする食文化研究の視点が一冊に纏められた著作。また,この視点からあらゆる地域の食文化を分析した研究事例が収録されている。
本人による説明
味の素株式会社と味の素食の文化センターが主催してきた「食の文化シンポジウム」「食の文化フォーラム」の成果の集大成。食べ物や食事に関する人間の観念や価値の体系を学術的に読み解いていこうとする食文化研究の視点がまとめられている。また,あらゆる地域の食文化を分析した研究事例も収録。
- 1998年11月
著書刊行
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食文化探訪
財団法人味の素食の文化センター
「JA農協」のPR活動の一環として,石毛がホストとなり食文化の視点から農産物や料理を論じた記事が雑誌に掲載された。その中からいくつかを選んで編集したのが本著。対談相手は以前から親しくしていた人物ばかりで,自由な会話を楽しんでおり,専門家が素人にもわかるように最先端の知識を解説している。
2000年代立て続けの受賞
- 2003年2月
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65歳大阪文化賞を受賞。
- 2003年3月
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65歳国立民族学博物館館長を退官。
- 2003年4月
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65歳国立民族学博物館名誉教授となり、大阪府茨木市西駅前町に石毛研究室を開設。
- 2003年9月
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65歳福井県小浜市に日本初の公立の食文化博物館「御食国(みけつくに)若狭おばま食文化館」開館。設立の企画に携わり、名誉館長となる。
- 2004年2月
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66歳フランスのリオン、ポール・ボキューズ氏のお店で。
- 2004年12月
- 2005年9月
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67歳監修した『世界の食文化』シリーズ刊行開始。農山漁村文化協会発行。
- 2007年3月
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69歳米国ニューヨークの日本料理店の調査。林原美術館館長・熊倉功夫氏、瓢亭主人・高橋英一氏と。
- 2007年7月
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69歳大同生命地域研究賞を受賞。「多年に亘る世界諸地域の食文化研究における業績」に対して。
- 2007年11月
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69歳タイ・バンコクへ。(財)味の素食の文化センター主催のシンポジウム「米と魚」にて基調講演「魚の発酵食品と水田稲作」を行う。
- 2000年
著書刊行
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文化麺類学ことはじめ (ハングル版)
『文化麺類学ことはじめ』のハングル語版 中国,朝鮮半島,モンゴルなど世界各地でどのような麺が食べられているかおよびそれらの起源と伝播を調査,麺の文化を考える上での基礎となると著者が位置づける著作。
- 2001年
著書刊行
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THE HISTORY AND CULTURE OF JAPANESE FOOD
Kegan Paul Limited(New York)
日本の食文化を中国・韓国のそれと比較しながらその歴史的経緯を明らかにする。第一部では石器時代以来の日本の食物と食習慣を探索する。第二部では,現在の日本の食文化を食器,台所器具,そしてさまざまなメニューを紹介しつつ論じる。
- 2003年
著書刊行
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食べるお仕事
- 2003年3月
著書刊行
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サムライニッポン 文と武の東洋史
中央公論新社
日本が東アジアの文明の秩序から脱し,独自の歴史を築いてきたことを「文」と「武」というキーワードを手掛かりに考えた著書
- 2004年12月
著書刊行
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考える胃袋
集英社
フォトジャーナリストである森枝氏と,豊富な現地体験と薀蓄を傾けきった対話篇。日々の身近なことでありながら地域・民族・時代によって様々な形を見せる「食」の豊かさを研究し尽くし,味わい尽くそうとしたそれぞれのフィールドワークの現場を語る。食するだけでなく料理をつくる側に立つことも多い二人による,食文化の探検紀行。
- 2005年4月
著書刊行
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食卓文明論 チャブ台はどこへ消えた?
中央公論社
食事風景に映し出された日本の家族の変遷を追い,霊長類の食生活,ニューギニアやアフリカの民族や中国,朝鮮半島の伝統的な食卓との比較を通して日本人の家族関係の歴史を人類学史的に位置づけた著書
本人による説明
明治時代前半までの伝統的な銘々膳を使用しての食事からチャブ台を囲む食事を経て,第二次世界大戦後にはイス,テーブルの食卓が一般化する。このような食卓型式の変化はなぜ起こったのか,変化に伴う食べ物の種類や配膳法,作法の変化,その背景にある家族の人間関係のあり方の変化について論考した著作。
- 2006年8月
著書刊行
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麺の文化史
講談社
1991年に『文化麺類学』というタイトルで刊行された,カラー写真をふんだんに使用したグラフィックな書物。1995年にはおなじ書名で講談社文庫に収録された。さらに2006年に『麺の文化史』と改題して講談社学術文庫に収録された。麺文化の歴史を見通すための大きな構図を描くという考えのもとに執筆された。
- 2008年7月
著書刊行
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世界の発酵乳 ~モンゴル・キルギスそして健康な未来へ~
はる書房
カルピス株式会社の創業90周年記念事業として行われた,キルギス共和国での乳製品の現地調査の報告と若手研究者による乳や乳製品に関する入賞研究論文,発酵乳の健康作用や栄養生理機能を掲載した本。石毛が乳食文化について述べてきたことのまとめにあたる著作。
- 2008年8月
著書刊行
-
食卓文明論 (ハングル版)
食事風景に映し出された日本の家族の変遷を追い,霊長類の食生活,ニューギニアやアフリカの民族や中国,朝鮮半島の伝統的な食卓との比較を通して日本人の家族関係の歴史を人類学史的に位置づけた著書
本人による説明
明治時代前半までの伝統的な銘々膳を使用しての食事からチャブ台を囲む食事を経て,第二次世界大戦後にはイス,テーブルの食卓が一般化する。このような食卓型式の変化はなぜ起こったのか,変化に伴う食べ物の種類や配膳法,作法の変化,その背景にある家族の人間関係のあり方の変化について論考した著作。
- 2009年
著書刊行
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世界の食文化 全20巻
- 2009年4月
著書刊行
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石毛直道食の文化を語る
ドメス出版
食文化論という新しい研究の開拓にあたって,食に関係する様々な研究領域に文化の視点を導入するために,異なる分野の研究者と討論をして食文化論の可能性を探ることを行った。その過程で生まれた論考を集めたもので,食文化のさまざまな側面について触れる書物となっている。
- 2009年8月
著書刊行
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飲食文化論文集
清水弘文堂書房
これまでに書いた論文の中から石毛が自身の基準で選んで集めた学術論文集。食という親しみのある事柄であるため,専門的な予備知識なしに多くの人びとが理解できると思われる。石毛は,本書をよんで食文化研究に理解をしめす人があらわれることを願っている。
2010年代衰えぬ行動力
- 2011年
12月 -
74歳『石毛直道自選著作集』全12巻の刊行開始。ドメス出版発行。2013年3月、全巻完結。
- 2012年
9月~
2013年3月 -
74〜75歳(財)味の素食の文化センターによる企画展示「石毛直道 食文化を探検する」が開催される。
- 2013年
3月 -
75歳『石毛直道自選著作集』第12巻(別巻)、ドメス出版。
- 2013年9月
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75歳イラン旅行
- 2013年10月
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75歳中国・紹興で開催された国際シンポジウム「亜州食学論壇」で「健康と食事」を講演。
浙江工商大学中国飲食文化研究所特聘客座研究員に任命される。 - 2013年11月
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75歳韓国・ソウルで開催された韓国食生活文化学会秋期学術大会で「東洋と西洋の宮廷食文化の比較」を講演。
- 2014年5月
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76歳南方熊楠賞を受賞。
- 2014年6月
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76歳フィンランド、ノルウエー、デンマーク旅行。
- 2014年11月
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76〜77歳中国・西安で開催された国際シンポジウム「亜州食学論壇」で「麺条の伝播とシルクロード」を講演。
- 2014年11月
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76〜77歳韓国・ソウルで開催された「キムチ学シンポジウム」で「世界の伝統的漬け物」を講演。
- 2015年8月
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77歳サハリン旅行。
- 2015年10月
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77歳中国・曲阜で開催された国際シンポジウム「亜州食学論壇」で「東アジアの家庭の食事と儒教」を講演。
- 2015年12月
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77歳『日本の食文化史―旧石器時代から現代まで』 岩波書店。
- 2016年2月
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78歳公益財団法人全国税理士共栄会文化財団から「人と地域の文化賞」を受賞。
- 2016年4月
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78歳瑞宝中綬章を受章。
- 2016年5月
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78歳南イタリア旅行。
- 2016年8月
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78歳北京で中国食文化研究会民族食文化委員会から石毛直道研究中心の名誉主任に任命される。
- 2016年11月
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78〜79歳中国・臨安市の浙江農林大学で集中講義「東アジアの食事文化」をおこなう。
- 2017年2月
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79歳南アフリカ、ボツアナ、ザンビア旅行。
- 2017年8月
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79歳中国・黒竜江省泰康鎮で開催された中国連環湖生態魚食セミナーで「日本における淡水魚利用の歴史」を発表。
- 2018年9月
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80歳『レシピで味わう世界の食文化―みんぱく研究室でクッキング』岩波書店。
- 2018年10月
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80歳中国・北京で開催された国際シンポジウム「亜州食学論壇」で「箸の文明と文化」を講演。「亜州食学論壇」から第一回「食学卓越貢献賞」を受賞。
- 2018年11月
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80歳アラブ首長国連邦旅行。
- 2019年1月
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81歳パリで開催された国際交流基金・人間文化研究機構共催シンポジウムで、「日本人が見たフランス、フランス人が見た日本」を講演。
- 2019年7月
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81歳『座右の銘はないーあそび人学者の自叙伝』日本経済新聞出版社。
- 2019年10月
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81歳キルギス・カザフスタン旅行。
- 2020年6月
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82歳『大食軒酩酊の食文化 第1集』教育評論社。
- 2021年11月
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82歳文化功労者として顕彰される。
- 2021年12月
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83歳日本・立命館大学で開催された国際シンポジウム「亜州食学論壇」で「「茶酒論」と「酒茶論」」を講演。
- 2022年9月
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84歳『道草を食いながらー出会った人びと、食文化』岩波書店。
- 2011年
著書刊行
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石毛直道自選著作集 全12巻
ドメス出版
- 2012年
著書刊行
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L'ART CULINAIRE AU JAPON(日本の食文化史)
1980年頃から海外における日本食のブームが起こり,現在の世界の大都市では多数の日本食レストランが営業している。フランスでは,ブームに先んじて著名な料理人らにより伝統的な日本料理が最初に正当に評価され,伝統的なフランス料理にとりいれられた結果,1970年代にはじまるnouvelle cuisineが誕生した。以後,日仏の料理の交流はさかんであり,ヨーロッパの言語による日本料理のつくり方に関する本も出版されている。しかし,日本人の食事の歴史や,現代における食事の実態や,飲食物にたいする日本人の価値観などを,外国の読者むけに解説した本はいまだ刊行されていない。本書は"食いしん坊の文化人類学者"であるわたしが,日本食に興味をもつ海外の人びとに向けに日本人の飲食物の背後にある文化を知ってもらいたいと執筆したものである(著書に添付の著者による「フランス語版への序文」より)。
- 2015年11月
著書刊行
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日本の食文化史~旧石器時代から現代まで
岩波書店
歴史学の枠組みのなかで組み立てられた、従来の日本食物史とちがって、食文化の視点から、日本人の食の歴史をわかりやすく論じた著書である
- 2018年9月
著書刊行
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レシピで味わう世界の食文化~みんぱく研究室でクッキング
岩波書店
民博で開催した「石毛クッキングスクール」で教えた、世界各地のレシピとその料理に関する食文化エッセイを収録した本である。
大食軒酩酊の食文化
雑誌『vesta』に連載の石毛直道コラム