1. ABOUT
  2. 石毛直道とは

食文化旅行

世界地図のイラスト

韓国

1980年
8月〜9月

韓国食文化調査

「食の文化シンポジウム’81 東アジアの食の文化」発表者の韓国食物史研究者、李盛雨教授の招聘のため。
(『 食の文化シンポジウム’81 東アジアの食の文化』[編著] 平凡社 1981年)

1983年11月

韓国魚醬調査

魚の発酵食品の調査で、ソウル、麗水、木浦、大邱、慶州を訪問。

1989年
7月~8月

韓国麵類調査

日清食品の広報誌『FOODEUM』の連載「麵談」のため韓国食物史の第一人者である李盛雨教授と対談。ソウルを訪問。ネンミョン(押しだし麵)、カルクッス(うどん)の製造法、韓定食なども取材。

(『 石毛直道の文化麵類学 麵談』[編著] フーディアム・コミュニケーション 1994年 『麵の文化史』講談社学術文庫 2006年)

中国

1980年
10月~11月

中国食文化調査

中国食物研究家の田中静一氏、中国食文化研究家の中山時子教授などの有志と、北京、上海、杭州、紹興を訪ねた。

1982年
6月~7月

中国食文化取材調査

雑誌『太陽』の連載記事の取材調査。上海、鎮江、揚州、南京、重慶、北京、済南、徳州を訪問。改革開放政策初期の頃、外国人の旅行に制約のあった時代の中国の食生活の変動期における記録である。
(『ハオチー! 鉄の胃袋中国漫遊』平凡社 1984年)

1983年3月

中国食文化取材調査

雑誌『太陽』の取材。農民や一般民衆の家庭における日常的な食事も経験した。当時、一般の中国人の利用する町の食堂では、外国人専用の外貨兌換券紙幣を受けとってもらえず、また糧票(リャンピャオ)という主食の食糧キップがなくては、飯や麵類、饅頭(マントウ)などの主穀物を使用した料理を注文することができなかった。

1983年
8月

中国魚醬調査

中国沿岸部の魚の発酵食品の調査。このときは、主として掖県で蝦醬(小エビ塩辛ペースト)工場を調査した。北京、山東省の掖県と維坊、上海、香港を訪問。

1988年11月

中国食文化取材旅行

全日空の広報誌『ていくおふ』に連載した「対談・食べ物風土記」の取材で大連を訪問。
(汪孝池・戚全生・王本松・石毛直道 『大連ー餃子一〇〇種と海鮮料理』 石毛直道『面談たべもの誌』文藝春秋 1989年)

2004年12月

食の博覧会・アジア麵街道・中国取材

NHKの麵に関するTVロケで、俳優の宍戸開さんと広州、北京、蘭州、太原を訪問。 北京では賈莜麵村で中国西北地帯の雑穀類の麵を取材。広州で開催された第18回広州国際美食博覧会に出品された各種の麵を取材。蘭州では、牛肉麵、イスラーム教徒家庭の食事を取材。太原では、一根麵、刀削麵、猫耳などを取材。この取材をもとに、「アジア麵の道を行く」という番組が作成され、2005年4月24日にNHK、BS2チャンネルで放映された。

東南アジア

1980年
3月〜5月

東南アジア食文化調査
(香港・タイ・マレーシア・シンガポール・インドネシア・フィリピン)

『週刊朝日百科 世界の食べもの』のための取材。

1982年
10月~12月

東南アジア魚醬調査(タイ・ミャンマー・マレーシア・フィリピン)

魚醬とナレズシを求めて、ケネス・ラドル氏と共に13ヵ国200ヵ所を取材し300のサンプルを得る。石毛直道の代表的な研究。この研究により博士号を取得した。未開拓の研究分野で、たよるべき文献もなく、調査地では最初に市場で魚の発酵食品の種類を調べ、売り子に製造者を聞いて、その工場を訪れるのが常であった。この研究調査の第1弾。以後も調査の旅は続く。
(『魚醬とナレズシの研究-モンスーン・アジアの食事文化』岩波書店 1990年 『アジアの市場-歴史と文化と食の旅』くもん出版 1992年 両著作ともケネス・ラドル氏との共著)

1984年
1月~2月

東南アジア魚醬調査(ベトナム・カンボジア)

魚の発酵食品の調査。ベトナムではホーチミン市、ハノイ、ハイフォンなどを訪問。ニョク・マム(魚醬油)工場、市場、食堂、農村風景、養魚地、結婚式の料理を、カンボジアでは、プノンペンとウドンでタク・トレイ(魚醬油)工場、押しだし麵の製造を記録し、市場、食堂、カンボジア料理などを取材した。

1984年11月

1985年1月

東南アジア魚醬調査(タイ・マレーシア・バングラデシュ・インド)

魚の発酵食品の調査。タイでは、バンコク、アユタヤ、コンケン、ノンカイ、コラート、ウボンラット、ヌクダハンで魚醬とナレズシ関係、各地の市場で売る食材、食堂、タイ料理などを取材。 バングラデシュでは、ダッカ、チッタゴン、コクセスバザール、テクナフ、モシカリ島。チッタゴン丘陵の東南アジア系民族のつくるナピ(小エビ塩辛ペースト)が主目的であった。インドでは魚醬がないことを確認した。

1985年
7月~8月

東南アジア魚醬調査(インドネシア)

中部ジャワと東部ジャワの漁村で、トラシ(小エビ塩辛ペースト)原料の漁獲や加工法についての調査を行った。ジャカルタ、チレボン、スマラン、スラバヤにて市場、漁村、塩田、ジャワ料理などを取材。

1990年
8月~9月

チベット文化圏と東南アジア麵類調査(インド・ブータン・マレーシア・タイ)

日清食品主催の「麵ロード調査団」に参加。ブータンのチンブー、ビテカ、パロではダッタンソバを原料とする麵類、ブータン料理など、マレーシアのペナンでは麵類各種の製法と料理法、ニョニャ料理など、タイのバンコクでは製麵工場や麵料理、屋台村、レストラン、船での麵の行商などを取材。

モンゴル

1996年
7月〜8月

モンゴル乳製品調査(モンゴル国、中国内蒙古自治区)

カルピス社創業80周年記念事業で、モンゴル国と中国の内蒙古自治区における乳製品の現地調査を行った。モンゴル国の首都ウランバートルの食料品市場見学、各種乳製品、磚(団)茶、肉、野菜、押しだし麵など、ハンガイ県ブルドの草原の遊牧民家庭のゲル(天幕)では各種乳製品、固形乳製品のゲルの屋根での乾燥風景、馬乳酒つくりなどの乳製品と牧畜の実態の調査を行った。ついで、内蒙古自治区シリンホトおよびケシクテンに移動し、乳酒の工場などを見学した。ケシクテンで、三島海雲がモンゴルの酸乳に出会い、カルピス社を創業したのである。
(『モンゴルの白いご馳走』[編著] チクマ秀版社 1997年)

コーカサス地方

1987年
8月〜9月

コーカサス食文化調査旅行(ロシア・アルメニア・グルジア・アゼルバイジャン)

「第7回日本ロシア料理店協会レストラン視察の旅」に参加。グルジア共和国のトビリシとテラビ、アゼルバイジャン共和国のシェキ、シェマハ、バクー、アルメニア共和国のエレバン、ロシアのモスクワを訪問。各地の名物料理、市場、ワイナリー、民族舞踊、歴史的建造物などを取材。

中央アジア

1990年
4月〜5月

中央アジア麵類調査(ウズベキスタン・タジキスタン・キルギス・ロシア)

日清食品主催の「麵ロード調査団」に参加。タシュケント、ブハラ、ペンジケント、コーカンド、フェルガナ、オシ、サマルカンドを訪問。ラグマン(手延べラーメン)製造と料理、プラフ(ピラフ)やマンティ(餃子風食品)の料理法、市場、露店食堂やレストランを取材。
(『麵の文化史』講談社学術 文庫2006年)

アメリカ

1980年
11月〜12月

ロスアンジェルス日本料理店調査

なぜ、アメリカ人が日本食を食べ始めたのかを中心に小山修三、山口昌伴、栄久庵祥二らと調査。トヨタ財団の研究助成による。ロスアンジェルスで50店の日本料理店を訪問し、アメリカ人約600人を対象とするアンケート調査を実施した。
(『ロスアンジェルスの日本料理店-その文化人類学的研究』[共著] ドメス出版 1985年)

イタリア

1990年12月

イタリア麵類調査

日清食品主催の「麵ロード調査団」に参加。リグリア地方インペリア市のイタリア最大のパスタメーカーであるアネージ社のパスタ工場、同社のスパゲッティ博物館、ナポリではタリアテッレ(手打ちパスタ)製造、ナポリ国立博物館収蔵の調理用具、ポンペイ遺跡関係、ミラノでは生パスタ製造工場、バルテリーナ地方におけるソバ粉を原料とする手作りパスタ製造とその料理、フィレンツェ、ボローニャ、ローマの各地におけるパスタを中心とした料理を取材。