- OVERVIEW
食文化研究俯瞰図
食文化研究の先達・友人たち
篠田
統
1899-1978 大阪府出身。食物史学。京都帝大卒。
ヨーロッパに留学後,1929年京都帝大講師。
のち陸軍技師として中国各地に従軍。
1948年大阪学芸大(現大阪教育大)教授。栄養生理学から食物史研究に転じた。
東アジア食物史の開拓者であり特に中国の食物史に関する第一人者である。
著作『 すしの本』『 米の文化史』『 中国食物史』など。
篠田統と石毛直道の思い出
京都に住んでいた頃、私はしょっちゅう篠田さんの家に入り浸った。
当時70歳近かったがたいへんお元気で「よう来た」と言って、お互いに焼酎を飲みながらよもやま話をしてくれた。
博識なうえに話が面白くて大ファンになった。
篠田さんが生前親しくした食物研究者に「俺が死んだら食いもののことは全部石毛に相談しろ」と言い残したそうで、食の分野にのめりこまなければと思った。
また、篠田さんが「青木
私も食に関することは照れがあり「これは私の遊びなんです」と言っていたのだが、それからは自分の本業だと言うことにした。
中尾 佐助
1916-1993 愛知県出身。栽培植物学・遺伝育種学。京都帝大卒。
1961年大阪府立大教授、1980年鹿児島大教授。
ヒマラヤから中国西南部、西日本にまたがる「照葉樹林帯」での文化の共通性に着目して「照葉樹林文化論」を提唱した。
また地域の植生から農耕加工調理と社会文化までをひとまとまりにとらえる「農耕文化基本複合」の概念を提唱した。
著作『 農耕の起源と栽培植物』『 料理の起源』など。
中尾佐助と石毛直道の思い出
1958年、京都大学探検部の新入部員時代に顧問の中尾さんと出会い、探検や学問の話を聞きによく自宅に出入りした。
1965年、京都大学人文科学研究所助手時代には、梅棹さんの共同研究会で毎週のように中尾さんと会ったが、世界的な視野で植物と人間の文化的な関わりを追究する民族植物学を志す中尾さんに刺激を受けた。
1970年頃、食文化の研究に取り組み始めた私は、学問の正道から逸脱した道楽者と一部から心配されたが、中尾さんから「君はおもしろいことを始めたな」と励まされ勇気づけられた。
1972年『Energy』31号の食事文化特集号の監修を行った際に中尾さんに全面的に協力してもらった。
また1980年『週刊朝日百科 世界の食べもの』の監修を、中尾さん、辻静雄さんと行っている。
中尾さんとはいくつかの仕事を一緒に行っているが、それが食文化研究という新しい分野を確立するための基礎的な作業となった。
李盛雨
1928-1992 理学博士。韓国ソウル大卒。
その後、大阪府立大学と都立大学に留学。
漢陽大学教授、嶺南大学教授を歴任。篠田統に師事し朝鮮半島の食物史を研究した。
韓国に「韓国食文化学会」「東アジア食生活学会」を設立し、すぐれた後進を輩出している。
著作『 韓国食経大典』『 韓国料理文化史』など。
李盛雨と石毛直道の思い出
私が企画を行った味の素(株)主催の1981年国際食文化シンポジウム「東アジアの食の文化」で李盛雨さんに「朝鮮半島の食の文化」という報告をしてもらった。
前年に、その依頼のために田中静一さんと韓国を訪れ李さんと出会い、それ以来食文化研究の盟友となった。
日本の食文化を考えるにあたり、中国・朝鮮半島の東アジアの食文化との共通点と差異を知ることが大切である。
中国は篠田さんの偉大な研究があるが、朝鮮半島での食物史は未開拓であった。
李さんが開拓者となり、韓国で研究組織を設立し第一人者となった。
李さんとは親しい間柄となり、毎年のように日韓をいきかい相談する仲になった。
韓国の多くの研究者とも知り合うことが出来た。
1992年の李さんの逝去にあたり、韓国ソウルで開催された追悼集会で私は記念講演を行った。
吉田
集而
1943-2004 京都府出身。文化人類学。薬学博士。京都大学卒。
同大学院薬学研究科修士課程・博士課程修了。
国立民族学博物館助手、助教授、同博物館地域研究企画交流センター教授、同博物館民族文化研究部教授を歴任。
著作『 東方アジアの酒の起源』『 風呂とエクスタシー ー入浴の文化人類学』など。
吉田集而と石毛直道の思い出
吉田さんは京大探検部の後輩である。吉田さんは世界各地の食文化や酒、嗜好品、栽培植物の現地調査を行った。
1972年『Energy』31号の食事文化特集号の監修を行った際に、世界の食文化地図の作成に参加してもらったのが、食文化を一緒に研究した始まりである。
1976年、私が国立民族学博物館による最初の海外調査となったハルマヘラ調査団の隊長をつとめた際には、吉田さんも隊員として野生バナナの研究などを行った。
1996年、当時海外からの立ち入りが制限されていたインド・ナガランド調査にも同行したが、吉田さんはコウジ酒の起源を調査した。研究仲間であり、よき酒飲み仲間でもあった。
大食軒酩酊の食文化
雑誌『vesta』に連載の石毛直道コラム