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中国食文化調査

1982.6-1983.3

済南

本場の餃子

済南<さいなん>は山東省の省都で、町の北方を黄河が流れています。
主要作物は小麦、粟、高梁、トウモロコシで、主食の85%が小麦粉です。
この小麦粉を使った料理である餃子は山東省が本場の食物で、水餃子にして食べるのがふつうです。
餡はブタ肉、ネギ、ショウガ、ササゲをみじん切りにしたものです。
季節によってはササゲをハクサイに変えたりもします。
餡を包み終わった餃子は、高梁の茎を並べて作った円形の台の上に置きます。
接触面が少ないので打ち粉をしなくても台からはがれやすく、茎の跡が平行線上の押形として餃子の背につき、見た目もよくなります。
焼き餃子は一般の家庭ではあまりつくらず、店で食べるものとされています。
山東省で最もよく食べられる小麦粉製品は饅頭<マントウ>、ついで麵条<ミエンテイアオ>、3番目が都市部では包子<パオツ>で農村部では餅<ピン>がよく食べられるそうです。

麵条はウドンのことです。
饅頭は発酵させた小麦粉を丸めて蒸した食物で、餡は入りません。
一方、包子は必ず餡を必要とします。
餡は甘い物ばかりではなく塩味をつけた肉や魚、野菜なども用いられます。
焼き餃子は煎包<チエンパオ>といって包子の一形態にあたります。
餅は小麦粉を発酵させずに皮をつくります。
練って薄く延ばしたものか、糊状に溶いたものを焼くかあるいは油を敷いた鍋で炒めます。
具を入れる場合も饅頭や包子に比べて平たい形にととのえます。

黄河の鯉

山東の人は、世界に名高い北京料理は山東料理を基礎とし、各地の料理を付け加えて形成されたものだといいます。
山東省は野菜の種類が多く海産物も豊富なので様々な料理法が発達してきました。
さらに中国の歴史の中心地でもあり、文化とともに料理も山東から各地に広まっていったに違いない、文化の中心であった証拠には孔子も山東人じゃないか、といいます。
その孔子が出産のお祝いに王から鯉をもらったということからもわかるように、鯉は昔から上等の魚とされており、黄河流域の地方では宴会料理に欠かせません。
済南市でいちばんおいしいとされる店のメインディッシュとして黄河の鯉料理が出てきます。
献立のなかで鯉は二吃魚<アルチーユー>と記されます。
大きな鯉を頭から尾まで二枚におろして1匹を2通りの料理法で楽しむことから名付けられています。
片身はブタ肉とショウガの糸切り、干しエビをのせて酒や調味料と共に蒸します。
もう一方は空揚げにしてからタケノコ、ブタ肉の角切りなどを入れた甘酢あんかけ、つまり糖醋鯉魚<タンツーリーユー>に料理します。

一般に山東料理は味が濃く、炸<ヂャー>・爆<バオ>といった技術がよく使われます。
炸は油で揚げること、爆は鍋で高温に熱した油の中に材料を入れて非常に手早く炒める料理法です。
それと醤油煮も山東料理の特徴です。
また、一口に山東料理といっても、内陸部の済南を中心にした料理と膠東とよばれる半島部の料理との二系統に分かれています。 済南料理は肉が多く、ジワーッとした味付けで、膠東料理は魚をよく使い、済南に比べたら塩気もあまり強くないといいます。

徳州扒鶏

爆という、高熱の油で一気に炒める技術が山東料理のひとつの特色ですが、それとは対照的な扒<パー>という技術を使った料理も山東の名物です。
やわらかくなるまで煮る、とろ火で長く煮込む、という調理法で、有名な山東料理に徳州扒鶏<ダーヂョウパーチー>という、工場で大量生産されるニワトリの煮込み料理があります。
済南から黄河渡ってを北上すること110キロに位置する徳州市は、綿花の集積地で中国の三大紡績地になっています。
扒鶏<パーチー>は徳州市の食品公司管轄下の工場でつくられています。
徳州に来た人は扒鶏を口にしないとおさまらず、徳州市民も正月やお客のあるときは必ず食べるため、1年間に75万羽のニワトリを?鶏に加工しますが、それでも需要に供給が追い付きません。

正式の名称は徳州五香脱骨扒鶏<ダーヂョウウーシアントウオグーパーチー>といいます。
生後1年以内の若鶏を屠り、血抜き、羽根むしり、骨抜きをします。
手羽の部分をノドからクチバシに通し、色づけの溶液に浸してから油の中に入れて赤褐色に揚げます。
このあと、15種類の香辛料と調味料を配合してある煮汁に入れて弱火で6〜8時間煮込んで扒鶏ができあがります。
肉はやわらかく、包丁で切らずとも箸でちぎることができ、塩味はあまり強くなく、脂気は抜けてあっさりとしていて複雑な香辛料の香りがします。

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