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魚尽くし ぼら
- 絵師:-
- 時代:天保三年(1832)
解説
「ぼら(鯔)」は「出生魚」と言われる。稚魚から成長してゆくにしたがって、「はく」「おぼこ」「すばしり」「いな」「ぼら」「とど」と名前が変わるからである。「とどのつまり」という言葉は、これからきている。江戸っ子が 「慌てちゃいけねぇ、泡食って出世したのは鯔ばかり」と使う常套句もある。めでたい魚として、生後百日の「御食い初め」の膳にものぼる。刺し身にしたときの「紅色」が美しい。卵巣の塩漬けは「からすみ」として珍重される。「いなせ(鯔背)」という言葉は、日本橋の魚河岸に集まる威勢のいい魚屋さんの髷が「いな(鯔)」の「せ(背)」に似ているからとも、背中に彫った「彫物」の「青」が、「鯔の背」の「青」に似ているからともいう。「鯛」は大名や金持ちのイメージであるが、「鯔」は、江戸っ子のイメージである。初代広重は、天保三年(1832)3月に、武士の身分である「常火消同心」職の家督を伜の仲太郎に正式に譲り、浮世絵師として一本立ちすべく、画号も「一立斎広重」と改める。天保四年(1833)、有名な『東海道五拾三次』が大ヒットする、その前年のことであった。その後、浮世絵師として出世街道を驀進する広重と、出世魚の鯔が、この錦絵を見ていると、イメージが重なってくる。まさに、「いなせ」は彫物の「青」であり魚の肌合いが良く表現されている。その秘密は、鯔の肌が「雲母摺」になっている。つまり、雲母の粉がまぶしてあるので、光に反射してキラキラ光るのである。「いな」は、秋に川を下って海に出るが、翌春、「ぼら」に成長して浅瀬に戻ってくる。広重は、鯔に「椿の花」を添えて、草画風に「うど」を描いている。早春の季節感満載の錦絵である。
管理No.:107
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