食文化の探求

古来より愛される餅(冬)

林綾野(はやしあやの)

まな板の上にどんと乗るのは丸く大きな餅。湯気こそ描かれていませんが、団扇で扇ぐ様子からも熱々の搗きたてということがわかります。ちょっと冷めたところでちぎって形を整え、ござの上に並べていきます。画面の左には丸餅やナマコ餅、のし餅など様々な形の餅がびっしりと並び、もう置く場がないほどです。

この絵を描いたのは三代歌川豊国。役者絵、美人画などを数多く描き、当時人気を誇った浮世絵師です。バランス良い画面作り、いきいきとした人物描写を得意とした彼は、ここでは人気役者をずらり登場させ、正月の準備に餅を搗くという年末の風物詩を華やかに描き上げています。

古来より愛される餅

日本では正月に古くから餅を食べる習慣があり、その歴史は平安時代までさかのぼるといいます。江戸時代、十二月も中旬を過ぎるとあちらこちらで餅の準備が始まりました。商家などでは自分の家で餅を搗き、長屋住まいの庶民たちは菓子屋に注文するなどしたようです。

正月、雑煮として食べたり、焼いてあんこやきなこと食べたりと、餅の楽しみ方は今と同じく色々あったようです。この絵は正月の準備をする年末の様子を描いたものですので、本来であれば、彼らが実際に餅を食べるのは少なくとも数日先ということになるでしょう。

画面の左手前を見ると、おろし金を手に大根をおろしている人がいます。姉さん被りをした尾上栄三郎です。正月のためとはいえ、せっかくつきたての柔らかく美味しい餅が目の前にあるのだから、大根おろしと共にまかないとしていただこうというわけでしょうか。仕事に精を出す人たちには、作業が一段落すれば、おろしと醤油とで辛味餅を味わう、そんな楽しみが待っていると見てよさそうです。

大根は江戸で最も親しまれた野菜のひとつです。江戸に船で運ばれてきた野菜の多くは、京橋付近の河岸に荷揚げされていましたが、その多くは大根だったといいます。そのためその市は「大根河岸」とも呼ばれていました。

栄養価も高く、日保ちもし、さらに沢庵や切り干しにすることで長期保存もきく大根は重宝されたのです。気軽にお餅を頂く時にも一役買ったにちがいありません。

餅を搗く勇ましい男たち

ここでは商家のような大きな家での餅搗きが舞台となっているが、年末餅を搗いて町を周る男たちもこんな風だったに違いない。彼らの搗いた餅は「引きずり餅」と呼ばれた。

この浮世絵は、実は五枚続きの大作です。右にさらに二枚の大判が続き、そこには餅を搗く役者たちが描かれています。中央には二人、三人がかりで臼の上で糯米をこねる男たち。後ろには大きな釜で糯米を蒸す男、手前には餅を返そうと、手ぬぐいを片手に男が構えています。

額に手ぬぐいをぎゅっと巻き、腰掛姿の男たちは威勢がよく、いかにも粋な江戸っ子といった感じです。人物と人物がほどよく向き合い対話するような構図。表情豊かな役者たちの顔。寒空の中、彼らのきびきびと動く様子が伝わってくるようです。

街中を賑わす江戸の餅搗き

天保9年(1838)に刊行された『東都歳時記』によると、このシーズンのみ現れる、餅つきを仕事とする男たちが居たようです。彼らは四、五人で一組になって、竃や蒸籠、臼杵や薪などを持ち運び、方々で餅を搗いて周ったといいます。彼らに襦米を渡せば、家の目の前で搗きたての餅を受け取ることができたのです。「街中せましと搗きたることいさましく、昼夜のわかちなし」ということで、年末の江戸の町は、昼も夜も餅搗きでそれはそれは賑わっていたようです。

無事に正月を迎えることができれば餅を口にすることができる。その味わい、食感を思い浮かべては、誰もが心踊らせたのではないでしょうか。当時、浮世絵にもたびたび描かれ、江戸の人たちに愛された餅。その心は今を生きる私たちにもしっかりと受け継がれています。

練馬大根など江戸ではいくつかの種類の大根が栽培されていた。手でしっかりと握れるくらいの太さからすると小振りで辛味もしっかりある亀戸大根と思われる

©Akio Takeuchi

辛味餅

材料:
搗きたての餅......適量
大根......適量
醤油......適量

1 大根をおろし金ですりおろし、水気を少し切っておく。
2 搗きたての餅を少し冷ましてから、手をぬらして、適当な大きさにちぎり丸める。
3 2を皿の上にのせ、大根おろしをのせ、醤油をかける。