里山里海をゆき、能登町の食文化を考える その7

2013年10月01日(火)

REPORT

訪問4日目

 

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「能登町の食文化を考える意見交換会

~和食のユネスコ無形文化遺産化活動について知る~」

〈4〉質疑応答・意見交換会

 

地元活動の事例発表が終わったところで、3人の先生方と鈴木郁男専務理事が前の机に勢揃い、意見交換会が始まった。総合司会は商工会の大黒さん、事務局としての質問などもはさみながら、飯田事務局長も司会をサポート。「会場の皆さん、ここからは活発なご意見を」と大黒さんが水を向けるが、シャイな皆さんはなかなか口火が切れず、講演の先生方が言い足りなかったところから話を始めることに。

 

◆結果を求めず継続することが大切

 

最初は的場輝佳先生から。「地元の大事な食のメッセージを伝えようとする時、どこでスタートするか。すべてカバーすることはできないが、小学校は重要。すぐに結果を求めないで、結果を信じて継続することが大切で、続けていると何か出てくる。それが伝えたかったことの1つ。

京都の事例は、京料理が美味しいということではなく、実際に料理に携わっている人の持つメッセージは深いということ。現に、同じ内容の授業を私が子どもたちにしても感動を呼ばないが、料理人さんたちは、専門的な(研究者的な)知識はなくても食べものへの一途さがあり、その言葉は子どもたちに届く。地元のそういう人たちと上手に手をつないで、いしりを広げるような授業をしてはどうか。実際に使い、よく知っている人(料理人)に協力してもらう、というのも手だということを言いたかった」。

 

◆弁当とお節料理と生まれ育った味

 

続いて、熊倉功夫先生。「さっきいただいたお弁当が美味しくて感動した。私は旅行することも多く、あちこちで弁当(駅弁)を食べるが、だんだん飽きると同時に、好きな弁当が決まってくる。東京駅なら大丸デパートの弁当売り場でお決まりがあり、どうしても駅で買うとなれば東京弁当。高めだが味が濃くて、つい買ってしまう(私は東京の人間で実は塩辛めが好き)。京都発でも決まっている。

なぜ、そういう弁当を選んでいるか。自分の食べられないものが入っていないということ。的場先生の講演の最初に『自分の生まれ育ったふるさとの料理』が最高という話があった。最終的には自分が生まれ育った環境、あるいは日々の暮らしの中で食べているものが一番美味しい。それに最も近い弁当を選ぶ。その意味で言うと、今日のお弁当はどれも美味しく食べられた。

結局、自分が生まれ育った時の味から離れられない、ということが、今度のユネスコへの登録でも眼目だと思う。最終的にたどり着くのはふるさとの味だと。そのためには、生まれ育つ時にちゃんとふるさとの味を刷り込まなきゃいけない。

私は4人きょうだいの末っ子で、小学生の頃、母親の台所仕事の手伝いをするのが日課だった。私の仕事は鰹節削り。きれいに削れると気持ちがいい。もう削れないという端っこは味噌汁の鍋に入れられ、2、3日鍋の中でゴロゴロしていた。そんな思い出が今の子どもたちにはもうあるはずがない。その寂しさ。

親と子が一緒に食事の用意をするということでは、お節料理も問題。こちらのレシピ集を拝見し、三段重ねのお節で感心した。昔はもっと簡単なものだったが、一家総出の仕事で、それぞれ分担して作った。わが家独特のお節が一品。卵と豆腐を崩し、寒天を入れて程よく加熱し固めるだけだが、切り口がきれいでほんのり甘く、何ともいえないもの。母がどこで習ったか聞き忘れたが、祖母の時代から作っていたと思う。今、わが家で作っても子どもたちは誰も食べてくれない。でも家内は結婚して40年、母の味を唯一作ってくれている。

お節料理は、母方で伝わっていく味と思う。それが今、全く伝わらなくなった。30代、40代のお嫁さんへのアンケートでは、『お節は夫の実家に行って食べるもの』と。お姑さんが作ったものを食べるので肩身が狭くて美味しくない。家では一切作りません。コンビニで買ってくればよしと、それくらいになっている。

断絶が思った以上に進行している状況。その中で何をしなければならないのか。今日、皆さんのお話を聞いていて、地域がまだまだ生きていると、ひしひしと感じた」。

 

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◆食改さんの活動に感心、「和食会議」も結びつけたい

 

熊倉先生のお話は続く。「こちらでの食生活改善の活動報告があった。この運動は戦後まもなく、農村で始まった生活改善普及事業がもとになっていると思う。例えば農村に出かけてのパン作り講習などから始まったと思われるが、これは食に限らず西洋的な生活を取り入れるための改良運動。今は逆に、むしろ伝統を守る運動になってきている。これはすごく大きな発展ではないかと感じた。

(3日目の調理実習後の聞き取りで、食改さんの活動は保健所を窓口に結核予防のための栄養指導がスタートとのことだった。また生活改善運動は戦前期にも全国で行われている。)

会員が206名というのは多いのか、少ないのか?」。

会長の元平さんが答えて、「多いところでは300名を超すが、石川県内でも市町村により20名前後のところもあり、私たちのグループは多い方に属すると思う」。

熊倉先生「2万人の人口に206名は1%、女性だけで見れば割合は倍になる。これは大変な数と感心した。我々は『和食会議』というのをしているが、もっと皆さん方と結びついてやっていかなきゃいけない。全国で1400、組織率80%という、これはすごい会。とても力強いお話がうかがえた」。

飯田事務局長「私が聞き及ぶところでは、陸上自衛隊員が全国で12万人、食改さんは16万人いるという。相当な勢力です」(会場に笑い)。さらに続けて「ちょっと事務局から。農林水産課の仲谷さん、特産品開発の取り組みについて悩んでおられる様子。この辺は小林先生のご専門なので、後の講演内容と重なるかもしれないが、少し火付けをしていただければ」と、小林哲先生にマイクを。

 

◆大事なのは「素直にやっているか」ということ

 

小林先生「フライイングの自己紹介をすると、ビジネス・経営が専門なので、特産品作りはズバリの話。3つは先が長く今すぐは無理と思うが、面白いのは、無駄話とかする中でぽーんとアイデアが出てくる、99%はそうだということ。実はあの時のちょっとした話でとか、あそこで失敗したのがきっかけ、というのはざらにある。だから続けることがすごく大事で、特産品の会としてか茶飲み友達か、どういう方法でも、とりあえず集まっていろんな話を続ける、そういう関係をつくることが非常に重要だろう。

今日、春蘭の里の多田さんや、駒寄さんの話など聞いて、何も言うことないくらいいい話と思った。他でもいい話を聞くが、共通して感じるのは『素直にやっているか』ということ。これがけっこう大事だ。さっきの3つの物産についても、『あなたは見たいと思いますか』『お金を出資したいと思いますか』『食べてみたいですか』と問うだけでいい。春蘭の里も駒寄さんも、してほしいこと、こうした方がいいということを素直にそのままやっているだけ。

ところが、必ずやっていくと『でも』とか『しか』が一杯出てくる(「地産地消でやりたい」「無農薬でやりたい」、でも…と)。それをさっと通り抜けて、素直にやりたいことをやる、その強さ・すごさを持っているかがとても大事だと思っている」。

 

◆牛乳と味噌汁、ジュースとご飯

 

続けて小林先生が話題を転じて。「給食の牛乳の話。僕は秋田出身で米食いなので、ご飯と牛乳は合わないと思っていた。前に熊倉先生の講演を大阪で聞いて素晴らしいと思ったのが、コスト的栄養的に外せないなら10時に牛乳を飲ませたら、という話。自分の子ども時代も、朝食を食べても昼までもたず腹を空かせていたなと。できればだが、地元の簡単なおやつも付けて『十時のおやつ』はどうだろう」。

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飯田さん「熊倉先生。ミルクと給食の関係を少し」。

熊倉先生「今日の写真では、味噌汁と一緒に出ていましたね。あれは全然問題はない?」。

栄養士の戸田さんが答える。「特に抵抗なく」。

熊倉先生「それは素晴らしい。ふつう両方は飲めないと決めつけてしまって、牛乳を出すから味噌汁は出さないというのが一般的な考え。今日は二つ並んでいたのですごいなと。子どもたちの反応は?」。

戸田さん「保育所や小学校で、小さい頃から牛乳とご飯、味噌汁を食べてきているので、大人よりは抵抗なく」。

熊倉先生「味噌汁を飲んで、牛乳が飲めないという子はいない?」。

戸田さん「それはないです」。

熊倉先生「いい事例と思う。これから方々へ行って、能登町ではちゃんと両方飲んでいると宣伝して歩く」との言葉に会場から笑い。さらに「牛乳は食事の後に飲むお子さんも多いです」と声がかかり、「そうでしょうね。牛乳を飲みながら味噌汁は飲まない。でも、味噌汁飲んでも牛乳が飲めるのが素晴らしい」。

そこに小林先生も参戦。「たまに学生とお酒を飲むことがあるが、今ほとんどが糖分の入った物しか飲めない。乾杯からビールは飲まず、日本酒も飲まず、フルーツ入りのチューハイとか。アルコールが飲めなければジュースで酒の肴、という組み合わせに違和感のない人たちが入ってくる。それでいいのかこの世界。

私の仮説では、そういう食事のあり方は、小さい時からの習慣によると。私は、お子様ランチはやめてくれと言っている。ご飯にオレンジジュースをなぜ付けるのか。慣れさせる恐さを、もっとみんなで考えないと。オレンジジュースでご飯を食べて、みたいなことがどんどん増えてきた時にどうするか。私の悩み。アホだと思って放っておくのか、こちらがいいと思うことを伝えようとするのか。そんなことで悩まなければならない現在だから、『和食を…』という話も出てくるのかと」。

 

◆「三角食べ」と「ばっかり食べ」

 

ここで、会場の女性から。「今話題になっているのは食事の食べ方と思う。私はもと学校に勤めていた。実は今、一緒には住んでいない孫と食事をする時、やはり気になるが、注意するのは数回に1回。親の与え方が気になることもある。私も、ご飯に味噌汁を添えないと食べられなかったが、今は減塩で1日1回にせよとも言われる。若い人も(子供世代)も毎食は作らず、孫はお茶を置いて食べている。夜には味噌汁を作るが、孫はやっぱりお茶とご飯で味噌汁は後。現場(学校)にいた頃は、『ばっかり食べ』は行儀が悪く、ご飯、おかず、汁を順番に食べる『三角食べ』を勧めていた。また、今ダイエットのためか野菜を先に食べなさいとも言われる。健康ブームやいろいろな情報が氾濫して、祖母でありながら、どこまで口出ししていいのか、何が正しいのか自信が持てない。それが悩み」。

的場先生「難しい問題。何が正しいとは言えないし、そのままでいかんとしかたない。京都で実践しているのは、本当に美味しいもの、いいと思うものを、我々世代の押しつけかもしれないが、それをきっちり伝えようと。学校給食はキー。韓国では、給食はほとんど韓国料理で毎回キムチを出す、牛乳は10時に飲む、ということはある。ただ、これは言うてもボヤキになる。なるようになると思う。細かいところで変わった変わったというが、トータルで日本の食べ物を食べているし、もう少し広く見れば、日本人は日本の文化の中で生きていくので。

今、お母さんたちに急にやれと言ってもできへん。世の中が便利になって手抜きになる傾向ができたのは、お母さんたちが悪いわけではない。時の流れのせいで、どこかに落ち着くまで放っておくしかないんじゃないか。でも、根気よく、こちらの方が正しいと誰かが言い続けて、伝えたい。もし『和食』が遺産化となれば、もう一度表に出て、何かがスタートできるきっかけになるのではと思う。

もう一つ、私の持論。男性が調理場に入れば家庭は変わる! お父さん方、頑張りましょう」(会場に笑い)。

飯田さん「だしと減塩、野菜を先に食べるという話も」。

的場先生「だしがしっかり引けたものは、塩分が少なくても十分塩味を感じる効果がある。だから減塩になる。グルタミン酸にその効果があることは古くから知られていた。それだけでなく、香りも含めたトータルでだしを感じた時その効果が高まるということもわかってきた。

野菜ついては、この食べ方を子どもに教えるのは問題。これは、大人の生活習慣病、特に糖尿病予防の食べ方で、先に野菜をおなかに入れることで栄養の吸収がゆっくりになり、急な血糖値の上昇を抑えるというもの。子どもたちには、いろいろなものをバランスよく食べることこそ美味しいと教えたい。野菜を先は大反対」。

飯田さん「今、学校給食では食塩は2.5gですか。食塩を制限するため、全国的に天然素材でだしをとると聞いているが、能登町はどうか。食べ方の順番の指導は?」。

戸田さん「1食当たり2.5g以下とされているので、能登町でもできるだけだしは、だしパックでとっている。後は食材から出るだしを生かすようにしている。順番は、一応『三角食べ』を指導しているが、『ばっかり食べ』の子が最近は特に目立ってきている」。

 

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◆「あえのこと」は日本の食文化の原点

 

ここで飯田さんが話題を転じる。「奥能登には『あえのこと』という独特の行事がある。ただ後継者不足やいろいろな問題を抱え、具体的な解決策はお持ちではないようだが、そのあたり各種の事例や考え方があれば。また食文化と行事とどういうふうに考えていけばいいか、何かヒントを」。

熊倉先生「たぶんヒントにはならないと思うが。『あえのこと』というのは、日本人の食に対する考え方を大変よく表現している。つまり、ご馳走するのが最大のもてなしということ。

アメリカにいた時のこと。ホームパーティが盛んで、毎金曜の夜は友人同士で呼ぶか呼ばれるか。アメリカ人の家庭に行くと、ハムがゴロン、後はワインとポテトチップスが並んでいるくらい。これで人を呼ぶなという感じのひどいものだった。我々がホームパーティをすれば、いやと言うほどご馳走する。これはなぜか。彼らは、食べるよりおしゃべりが目的だし、もてなすこと。つまり『もてなし』の考え方が違う。

これほど料理を一生懸命出すのは、日本人独特と思う。中国あたりもそうかもしれないが。

日本のもてなしは要するに食事。それが神様へのもてなしとなる。神を十分もてなそうとすると、料理をたくさん出す。その典型が『あえのこと』なのだろう。

神様は、春の農耕の季節になると山から下りてくる。その象徴が桜。桜は、『さ』の神の『くら』すなわち居ますところ。つまり、桜が咲くということは、里へ神が下り、これから農作業を始めようという時の象徴となる。すると、下りてきた『さ』の神をもてなすためにご馳走を作る。これが花見の宴。ドンチャン騒ぎは、神様が一人で食べるのは寂しいから一緒に食べ、芸もして見せ、楽しんでもらうもの。だから桜の木の下でやり、梅や桃ではやらない。

『食べる』ということは、神様が喜ぶ最大の要素であり、それは我々が喜ぶ最大の要素である。その、『食べる』ということの喜びを、今、忘れてしまっている。美味しい物を食べなきゃいられないと、これは食の堕落だ。食べること自体が喜びであるということをもっと考え直さないと。そういう意味では、『あえのこと』は食文化の原点と思う。これからも続けていただきたい」。

会場から文化財担当の新出さんが答えて。「昭和50年代と比較して激減したといわれる実態をアンケートした。旧能都町は1軒もない、私が知る限り。旧内浦町では、国重という地区が合同で行っているだけ。柳田は兼業であれ委託であれ、農業をしている方がいて、他の2町より減少率は高くないが、後継者などを考えると、10年後には激減という形が見えている。これをいかに保存・継承していくか。行政と地域と学校と、一体になって守っていきたいと考えている」。

熊倉先生「保存会はあるか」。

新出さん「昭和50年代に国の指定を受けた時に奥能登で保存会をつくったが、その後しばらく停滞し、ユネスコ申請の話が出たとき調べたら、あまり機能していないとわかった。能登町が一番行っているということで、能登町長が会長になって保存会を再興し現在も継続している」。

熊倉先生「ユネスコ登録には必ず保存・継承のための組織をつくれという条件がつく。『和食』も指定されたら法律を作らなければならない。逆に、行政に対して住民の側から声を上げるチャンスだ」。

新出さん「行政の長が保存会の会長なので、行政主導で、よい環境で取り組んでいるとは思う」。

 

◆〈能登弁〉の味、能登町の味

 

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大黒さんから「そろそろ時間」と声がかかると、俄然活気づく。まず、会場から女性の一言。「今日のお弁当、能登町の者としては、あれもこれもうまいやろと勧めたい物ばかり入っていた。この中で、町外の人から見て、これが能登町の食文化でお奨め、というのがあったらお一人ずつ意見を聞かせてほしい」。

まずは鈴木専務理事。「私は食べてみるのが一番早いと思う。能登弁については先生方に譲って、ナレズシのこと。実は私、以前他で食べてちょっと苦手な印象を持っていたが、今日のアジのナレズシは非常に食べやすく、抵抗なく食べられた」。

小林先生「個々のものより、あの組み合わせて全体ができているのがすごい。他で見たことがないくらい、多彩であり、海幸山幸がよくわかる。しいて言えば、ナスのいしり浸し。皆さんがいしりとナスとしきりに言っていたのがよくわかった。いしりのクセもあるけれど、嫌みがなく美味しかった」。

的場先生「いしりの香りがどんとしたのが、イカの煮たもの。全部似た香りだと飽きると思うが。ぬか鯖ののったご飯も美味しかった。オーッとなった」。

熊倉先生「作られた方とさっきお話して褒めるところは全部言ったので、私からはいらないと思ったものを。豆腐のカツと付け合わせのポテトのマヨネーズ。そのへんがカットされて、だし巻き玉子が甘い玉子焼きにしたかったなと。

何より、あれだけ手をかけて作るということが素晴らしい。これは能登町の力だと思う。皆さん労を惜しまない。これが食文化の根本だと思う。それが、こんなに素晴らしい結果を生んでいる」。

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大黒さん「作り手として最後に一言」

作り手さん「私共に求められるのは、こういうテーマがあった時、頭の中に思い浮かべ、どういうものを作るか、それができる集団が町にいないと、やはり外からお客さんは呼べないということ。やはり感性的なものは求められていると思う」。

会場から春蘭の里の方の手が上がる。「私の自慢は、渋柿を能登の海水に漬けて渋を抜いたもの。これを冬、お客さんに差し上げる。渋抜きも、アルコールや湯に浸ける方法は知られているが、塩水というのは珍しい。これが作れるのは『神道柿』という山の小さな渋柿。他の柿は漬けると途中で腐ってしまう。11月中頃に柿を漬けて正月に食べる。自慢の一品。こういうものが、能登半島にあるということを先生方にも知っていただきたい」。

大黒さん「ありがとうございました。時間が足りないくらい」という言葉と拍手で意見交換は終わり、最終セッションへ。(その8に続く)