全かま連 第50回水産煉製品特別研究会を聴講

2013年10月09日(水)

会場メルパルク東京 3階「百合」
主催全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会

今回は、全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会(全かま連)が開催した第50回水産煉製品特別研究会に参加し、講義内容などを報告します。

全かま連は、昭和15(1940)年、統制物資の配給や製造資材の斡旋を目的に設立された任意組合が前身で、なんと70年余りの歴史をもっています。統制経済下、必要に迫られてつくられた組織ですが、同業者が交流することで団結が生まれ、その初心は現在でも脈々と受け継がれているとのこと。

そして、日本各地で特色ある水産煉製品を作り続けてきたかまぼこ業界は、食文化の重要な担い手のひとつでもあります。当然ながら、全かま連は「和食」文化の保護・継承国民会議の会員です。

この度おじゃました特別研究会は、毎年開催され、今回が第50回の節目の会。「和食」文化も意識された研究会を聴講し、レポートします。

●一言● 全かまさんとのお付き合い以来、週末は、必ず「蒲鉾」を買ってきて食前に日本酒で2杯ぐらいやります。近所のスーパーにもいろいろなメーカーの蒲鉾があって、地方にも地元の蒲鉾があり味も少しずつ違います。最近、我が家は蒲鉾をきらしません。皆さん、蒲鉾は旨いですよ!-

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〈プログラム〉

 演題① 「食の豊かさと、言葉の豊かさと」

    講師  奈良大学文学部教授 上野 誠氏

 演題② 「~若者への需要づくり~アイドル トロピカル丸とかまぼこ作戦」

    講師  全国蒲鉾青年協議会 前会長 竹中広樹氏

REPORT

台風が近づき、風も強まってあいにくの天候だったが、会場は全国から集まった会員の方々の熱気につつまれ、鈴木全蒲会長の挨拶で第50回研究会が始まった。

まず講演に立たれたのは、奈良大学教授・上野誠先生。「体感する万葉」をモットーとする上野先生は、万葉文化論を標榜、ユニークな視点とソフトな語り口で人気のある万葉研究者だ。この研究会では、日本の食文化である「かまぼこ」をどう文学や言葉の世界とからませて料理し、聴衆に「体感」させてくれるのだろう。

 

演題①「食の豊かさと、言葉の豊かさと」

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上野先生は、まず自分は食の文化フォーラム(公益財団法人味の素食の文化センター主催の研究会)で、文学分野を担うメンバーとして自己紹介。「なぜ私はここにいるか」食文化とご自身、さらに全かま連さんを結びつけるメッセージを「つかみ」とした。

イントロは、この夏訪れていたというドイツでの体験談から。どの町を巡っても、連日ザワークラフト、ソーセージ、ジャガイモ、チーズ攻めにあう。素材や製法の違いを説明されても、所詮チーズはチーズ、ソーセージはソーセージ、その違いを楽しむ味覚の訓練はできていない。ドイツ人にこぼしたら、「日本に行けば全部醬油と味噌の味付け」と返された。そこで先生は膝をうつ。それぞれに大豆発酵食品と乳の発酵食品の味の文化がある。それは、牧畜・麦・ブドウ栽培から肉食・乳発酵食品・パン・ワイン・ワイン酢へ、稲作・漁労などから米・魚・酒・米酢・大豆発酵食品へ、風土に根づいた生産の次元が文化的次元を形成しているのだと。

そして本題へ。

第一に米に注目。いかに日本人が米に執着したか、米(稲)に関する言葉の多彩さが示す。ハ(稲葉)、クキ、ネ、ホ(稲穂)、ヨネ(生産物)、コメ、ヌカ、イヒ(炊いたご飯)、メシ(盛りつけたもの)。また白飯、寿司、炊き込みご飯、餅、煎餅、酒と米食品も多様だ。すなわち、多様な食は多様な語彙を生む。しかも、歯はハ、歯茎はクキ、足の付け根はネと、体の部位も稲と同じ言葉で表す。

さらに、稲を選んだ日本人はどうしたか。本来熱帯の作物である稲を、北へ北へと作付地を伸ばし、北限の稲作を実現した。それは、二毛作・三毛作が当たり前の東南アジアなどに比し、ワンチャンスの稲作。様々な技術を駆使して寒い地域で米を作ることにより濃やかな技術が発達した。細工蒲鉾、和菓子、和食のそれに通じ、濃やかなものを丁寧に作る文化が発達した根幹に、この北限の稲作がある。この濃やかさこそ日本文化の大きな特徴。

続いてリチャード・ランガムの著書『火の賜物―ヒトは料理で進化した』を紹介、火と人間の食に話題を転じた(同テーマを取り上げた食の文化フォーラムにも言及。朝倉敏夫編『火と食』に収録)。火を使うことで食べ物にならなかったものが食べ物になり、ヒトの胃袋は小さくなり、脳は大きく発達、まさにヒトは料理で進化した、のである。

さて、穀物として米を選んだ日本人だが、動物性タンパク質はどうするか。動物性タンパク質は保存が難しい。例えば漁期が限定される魚(猪などでも同様)が多量に獲れた場合、干す、発酵させる(塩蔵も)、焼く、煮る、それぞれの技術でより長く保たせる。その中で火も利用される。

 

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次に、「かまぼこ」の歴史に入る前に、「文献上の初見と発生は違う」点を押さえておく。「初見」とは初めて文献で確認できること。出された例は「和菓子」、文献初出は明治という。そんなバカな、和菓子は江戸時代も室町時代もあったはず。実は西洋の菓子に、従来の菓子との区別で「洋菓子」という言葉ができた時、対して「和菓子」という言葉もできた。それが明治。しかし和菓子(実体としての)そのものはずっと以前からある。

「初見」とは、「かまぼこ」ならその言葉が文献上確認できるということであって、「発生」すなわち生まれる必然性があり、名称は不明でもそれがある、ということとは違う。「蒲鉾という食品が生まれたのは平安時代」などと言う人がいるが大間違い。その名称が確認できるのがその時代以降の文献ということでしかない。

そして、いよいよテーマは「かまぼこ」へ。

「かまぼこ」の語源は「ガマ(蒲)の穂」「ガマ(蒲)の矛」といわれる。ガマ(植物)の穂は茎の先端が少し出ていて、煉り物を巻き付けて焼く、その形状が似ている。では、ガマの穂(ホ)とは何か。頰(ホホ)、穂(ホ)、炎(ホノホ)の例でも見えるように、「ホ」とは飛び出たところ、よいところ、変化するところ、最先端にあたるところなどの意味をもつ。古事記に出る「やまとは国のまほろば」の「ホ」もその意味である。

「ホ」に場所を表す接尾語の「ト」をつけると「ホト」、「ホ」にかわいらしいものにつける「コ」をつけると「ホコ」になる。従って、「ガマのホ」に対して、「ホト」「ホコ」の言い方も出てくる。そうすると、「ガマのホコ」という言い方が当然出てくる訳である。

国文学者としては、この用例を確認しなければならない。

そこで、夏休みに5人の助手を雇い、古い文献をずっと捲っていった。すると、16世紀に日本に来たポルトガル人宣教師が作った『日葡辞書』(1603、4年刊)に、「Gama. ガマ(蒲)水中に生える草であって、笠や筵などを作る材料となるもの」とある後に「Gamano fo. ガマノホ(蒲の穂)」と出てきて、「ガマノホ」の一番古い例を見つけた。これ以上古いものはない。

後は近世の随筆類をずっと見ていくと、「蒲鉾」の記述として「京都ニ漕シ賣ル者櫛形ニ似テ短ク、粗製鹽ヲ多クシ、必ラズ燒タリ、是遠境ヨリ遣レ之モノ故ニ、燒ザレバ腐レ易キ故也」(『守貞漫稿』)とあった。これは、菱形で焼いて売っているものがある。なぜかというと、焼かなければ腐りやすいからである、と。

さらに、室町時代の文献とみられる『類従雑要抄』の中に、平安時代後期の永久3年(1115)の7月、関白の藤原忠実が開いた祝宴の料理献立に「蒲鉾」の文字と絵が記されている。これをもって「蒲鉾」という言葉が確認できる。つまり、室町時代の文献によって平安時代まで遡られる。

 

では、それ以前にないかと言えばそうではない。塩を入れて煉り、それを焼くことによって、少しでも長い期間食べられるようにする。魚文化の要諦は、どう保存するかにある。

そこで、奈良大学での話を披露。毎年、新入生に柿の葉寿司をご馳走するが、ある時、高知出身の学生が「なぜこんなに鯖を薄く切るのか」と問うた。海に近く魚を豊富に食べられた彼女には、山の中で魚を食べたくても食べられない民のことがわからない。塩鯖を薄く切って飯にのせ、その味がしみたご飯で魚を食べたとする感覚をもったのである。

最近の万葉研究では木簡も見ていくが、各地の海産物が都に運ばれてきた様子がわかる。例えば塩鯖も京都で鯖鮨として発達した。内陸部で発達している訳である。

実は「かまぼこ」が、上方で発達したことが、江戸時代の文献に出てくる。これは、どうしたら内陸部の人が魚の味を楽しめるか、日本人の情熱の結晶である。塩鯖然り、柿の葉寿司然り、いりこ然り。

冒頭で述べたドイツのソーセージにしても、ブタを解体したらその美味しさを余すところなく食べることができるか、保存できるか、その営みの結晶。乳製品も然り。そこから様々な加工技術・発酵技術と味の文化が形成されるのである。

 

締めくくりのエピソード。屋久島の友人がお土産に持参したすり身で薩摩揚げを実演。出来たては膨らみ、そして縮むのに驚き、賞味して感激。こうやって、魚の美味しい食べ方を考えていったのかと。さらに、子どもたちがキャンプなどで、すり身を自分で竹串につけて成形し、焼いてその場で食べられるような活動はどうかと提案。これが「かまぼこ」の始まりとわかるし、保存の知恵も知る。

タイでの経験。かなり煉り製品が食べられていて、薩摩揚げ風にナンプラーが添えられる。調味料のバランスは違えども、魚の獲れる場所ならどこでも発生しうると実感。

最後に、ドイツの魂としてブタを食べ尽くす営みと、日本の魚食文化を引き、どうやったらタンパク質を長く保存できるか、美味しくできるか、その努力の中に煉り製品の歴史もあるだろう、と結んだ。

 

ブタの解体からソーセージ作りまで子どもたちに見せるという話は、命を食べる営みを文化として受け継ぐことに他ならない。「我々もリレーの一人」との上野先生の言葉から、日本人として「和食」の文化(もちろんかまぼこも含めて)を次世代につなごうとの想いを感じた。

 

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続く演題②「若者への需要づくり」では、かまぼこ業界の次代を担う若手経営者たちが、現代の若者たちにもっと食べてもらおうと、新しい情報発信を模索した取り組み(アイドルのトロピカル丸への「かまぼこ付け届け作戦」)などが紹介された。(了)