里山里海をゆき、能登町の食文化を考える その2

2013年09月29日(日)

REPORT

訪問2日目

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「予定びっしり、能登町の食文化の現場を歩く」

 

 

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◆朝一番、魚市場でセリを見る

 

翌朝2日目も快晴、どこからかお寺の鐘の音も聞こえる。全員早起きして行動を起こす。最初の予定は魚市場の見学だったが、その前に一仕事、一登り(?)、酒垂神社へ。実は前夜、星がきれいな土地というので船着き場に出て夜空を仰ぎ、路地を照らす灯りにひかれて(京都の料理屋さんに入る小径のような風情で)、皆で辺りをそぞろ歩き、この神社を見つけた次第。急な石段なので朝また来よう、となった。

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階段を登り切ると立派な建物。なんと早朝から安産祈願をしているではないか。終わった後、我々も招きあげられて、神主さんに少しお話も聞けた。なんというラッキー。この近くでいしりを作っているところがあると、耳より情報もゲット。港の広がる景色を見てパチリ、急いで魚市場へ向かった。

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7時前に到着。前日市場が休みだったこともあり、市場にはたくさん魚が運び込まれている。数が多かったのはカレイやアジ、それからノドグロも。人々は忙しく立ち働き、7時15分からいよいよセリが始まった。

皆さん、器用に魚の入った箱の上に乗り、符丁なのか何と言っているのかわからない言葉で、どんどん競り落とされていく。セリは30分ほどで終了した。魚種も豊富に思えたが、実はこの時期は定置網が入っておらず、それがあると格段に市場は賑やかになるそうだ。

 

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◆輪島の朝市、千枚田、塩田をめぐる

 

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宿に戻って朝食をとり、今度は能登半島の反対側(外浦)、輪島方面を目指す。車は中さん運転のワゴンタクシー(このあと我々は人間ナビともいうべき彼の運転で3日間、縦横に走り回って300キロも走破することになる)。途中、穴水で、高速深夜バスと鉄道を乗り継いで到着された小林哲先生(大阪市立大学大学院准教授)も合流された。

 

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9時半に朝市に着き、30分一本勝負で見て回る。千年以上の歴史をもつという朝市だ。きれいに整備された通りの両側に出店が並び、産物が売られている。以前見たことのある飛騨高山の朝市より、少しあか抜けた印象。周りの景色がちょっと都会的だからかもしれない。フグの卵巣のぬか漬け、いしる、ノドグロの干物、野菜類、輪島塗など、ほぼご当地のものが売られていた。

 

次に海岸線を北上し、「白米千枚田」へ向かう。「世界農業遺産」の象徴的な景観と言われているそうだ。展望場所など工事中のところがあったのは残念。田植え時期で水が張られていたり、稲が青々茂っていたらまた格別に美しいんだろうな。平野がない土地に、それでも稲を作ろうとする人間の営みは圧巻だった。

 

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さらに海岸線を進み、揚げ浜式の製塩を見学(塩の駅 輪島塩)。汲み上げた海水を砂地の塩田にまいて水分を蒸発させ、塩がついた砂を集めて海水でこす。この濃い塩水を大釜で煮詰めて塩を作る。この過程で天然にがりもできる。こちらも千年以上続く製法とのこと。ミネラルたっぷりでうま味のある塩だった。

 

◆ブルーベリーで地域おこし、

   男のロマンをうかがう

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再び能登町にとって返し、昼食を兼ねて、ブルーベリーで地域おこしを図った仕掛け人のお話を聞く。場所は能登空港に近い「夢一輪館」、人物は主人の高市範幸さん。開口一番「ここを始めた20年前はただの山の中で、空港の話も道の駅もなく、こんなところに蕎麦屋を作った私は変人扱いだった」。その開店より以前、高市さんは柳田村役場に勤め、村おこしを仕掛けたのだ。

 

当時柳田村は人口もかつての8000人から5000人を割り過疎化は深刻。何かを起爆剤に地域を活性化したいと模索していた時、十勝ワイナリーの人との出会いがありワイン造りがひらめいた。幸い能登牛もあると。当初は父親の作っていた果実酒をヒントに夏ハゼのワイン、ブルーベリーにたどりつくまで時間がかかった。

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一方、この地域は国のパイロット事業で山を開いて農地を作り、栗を植えて複合型経営を目指していた。しかし肥沃な表土を削り取った土地で栗は根づかず、農家は離れていった。栗に代わる作物を見つけなければ。そして筑波大の先生からアメリカ産ブルーベリーのことを教えられ、自治体ワインの製造者も紹介。

昭和61(1986)年に「ブルーベリーでワインを」と叫んだ時は誰にも相手にされなかったが、農家には買い取りを約束して植え付けてもらい、ワインも地元にワイナリーを持つまでになり、ともに能登町の特産品に育っている。

ご本人はあるイベントを契機に役場を辞めて転身されたが、旺盛な探求心と出会いを大切にする人柄は健在。手打ち蕎麦も、だしも、そのほか使う食材もすべてこだわりを貫く。それが今、広く支持されているのだ。

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「花も、雪も、人も、能登」とのスローガンは、常に本物を発信するという自らへの戒めであり、すべてが能登を形成している、とのポリシーだと。

 

我々はご自慢の手打ち蕎麦をいただき、「まるごと能登和牛丼」も一つを分け合って、そのこだわりを味わった。

 

◆廃線のトンネルがナレズシなどの貯蔵庫に

 

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続いて向かったのは、ナレズシの貯蔵場だ。これがユニークで、廃線になったのと鉄道能登線のトンネル跡。福池正人さん(北能産業(株)代表取締役)と宮前博人さん(柳田食産(株)技師)が待っていてくださった。さっそく入り口のシャッターを開け、中に進む。9月末とはいえ外気温は相当高い。トンネルに入ったとたんヒンヤリとし、奥へ行くと寒く感じる。

100m以上行ったトンネルの中央部分は、外気に関係なく温度は15、6℃、湿度は90%以上で一定していて、ナレズシなど発酵製品の貯蔵にはうってつけとのこと。漬け込まれた容器がずらりと並べられている。

しかもこのトンネル、今年の7月にJRと売買契約を結び、工事をしたという。「土建屋だから工事はお手のもの」と福池さんは胸を張られた。去年たくさん仕込んだら置く場所がなくてそのまま夏を越し、発酵しすぎて魚が溶けてしまった。今年も暑い夏の予報で、急きょトンネル貯蔵庫が発案されたようだ。それにしても即断即決、即実行。ナレズシは、上手に夏を越せたことだろう。

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ナレズシの素材は豆アジ。5月の連休過ぎに出回り、15cm以下のものの内臓を取りセイゴはそのまま、塩漬けしたものを飯に漬け込む。梅雨時に発酵が活発化し、7月末から食べられる(40日以上掛ければよい)。あとはトンネルで保存。宮前さんの説明に、長期熟成もできないかと先生方が質問。どうも何年物というのが食べてみたいご様子。温度管理によっては溶けずに保存できるのだろうか。「こんかいわし」(ぬか漬け。福井などではイワシのへしこ)なども作られている。

 

ひねずしは、かつて冬を越すための山間部の食料で、漁港で魚を買い付けて塩蔵し、それを運んで米とで発酵させる、むしろ山沿いの方がよく作ったという話は興味深かった。これぞ食文化だ(乳酸菌の話などは、10月1日の宮前さんの事例発表に譲ります)。

 

◆若社長の案内で酒蔵を見学

 

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次の予定地へ。これも「和食」の大切な要素、酒造りだ。訪ねたのは明治2年創業の数馬酒造さん(醬油・味噌造りでは江戸期からの歴史あり)。日本酒業界で日本一若いという数馬嘉一郎社長が出迎えてくれた。お若いのに落ち着いた物腰、でも爽やかな笑顔と真剣な説明がフレッシュ感たっぷり。能登町には他に松波酒造、鶴野酒造の2軒があり、さすが能登杜氏が酒を醸す酒どころである。

仕込みの時期でないのは残念だが、こうじ室や仕込みタンクなど案内し、解説してくださった。数馬酒造では、酒米を磨く精米作業は100%自社で行うとのこと。「杜氏も今の時期、米作りをしており、酒米を自分で育て自分で磨き、自分で醸す」と。これぞ究極の酒造りだなあ。仕込み水は、先代の杜氏が夏場の山仕事の時見つけ飲んでいたものとか。柳田の水である。

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さらに、「気候の関係か酒米の収量が年々減って確保が難しくなった。運よく同級生が独立して農業を始めたので彼にも酒米を作ってもらっている。できるだけ耕作放棄地を使ってもらい、農業遺産になった『里山里海』の景観維持にも貢献できればと」。「ええことやねー」と的場先生。若い人が家業を継ぎ、仲間に仕事を広げ連携していく。ここに生きる、未来へつなぐ、誇りをもってやっている。胸が熱くなった。

 

酒蔵コンサートもする明治後期建造という倉庫も見学。風格あるなあ。コーラスをされる的場先生はさっそく発声練習で響きを確かめる。なかなかだ。

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最近まで掛けられていたという「竹葉(ちくは)」の看板を見て、由来を尋ねられ、「仕込み水に使われていた笹川の上流の笹葉や古来より酒の別称だからとの説があるが、虎好きのひいひいおじいさんが神聖な虎のすみかである竹林、成長する酒との思いでつけた」という新説も披露してくれた。

 

◆伝統漁法「たこすかし」を体験する

 

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2日目最後の日程は、「たこすかし」漁体験だ。場所は赤崎海岸、指導役は大瀧信男さん。たこすかし名人で石川県の匠に認定されている(石川県グリーンツーリズム研究会奥能登支部)。秋になり、産卵や給餌のため海岸近くにタコが寄ってくる時期、疑似餌で誘って鉤で引っかけて捕る漁法。「すかす」は能登の方言でだますとの意味。内浦地域に古くからあり、昔は赤い布を付けたそうだ。

9月中旬~10月のシーズンには、子どもたちや家族連れなどの予約を受け、体験指導する。私たちも、胸まで来そうな胴長をはき、先に赤いゴム製のカニと、鉤針が複数ついた竹竿2本を持って出陣。焦らず気長に、岩陰などタコが潜んでいそうなところでカニを這わせて、と言われ実践してもタコは来ず。大瀧さんはいくつもゲットしタコがいることを実証。近くで見ていた人の話では、岩陰ならぬ海中を泳ぐタコも見つけてひっかけるらしい。これって「すかし」じゃない? 

 

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近くでやっている家族連れなども捕れているのに。我が陣では小林先生が1匹ゲットし、粘りに粘って大黒さんが1匹捕って地元の面子を保った(実は大黒さんも初体験だったそうだ)。大瀧さんが獲物を分けてくださり、宿で茹でてもらって、獲れたてをみんなで味わうことができた。(その3に続く)