病院食のミッシェランを

エノキ茸の大根おろしあえ(左の小鉢)、減塩醤油、ふりかけ、米飯、タラの唐揚げ(右上)、焼豆腐、糸昆布、白菜の煮つけ(右下)、食器はプラスチック製

ちいさな手術のため、8日間ほど入院をした。手術当日は絶食だったが、あとは病院食ですごした。食いもん商売に従事する身の職業病としての、かるい糖尿病にかかっているので、カロリーを制限した糖尿食を供された。飲み助で、ヘビースモーカーの大食軒ではあるが、入院中は禁酒禁煙をまもる模範的患者であった。 
ある日の朝食のメニューを書きだしてみよう。

「白粥」。
「海苔佃煮」(1人分をプラスチックの小袋にいれた市販品)。
「小松菜とニンジンの煮浸し」(だしの味や塩味をほとんど感じない、ゆで野菜)。
牛乳(180ml.の紙パック)。 
「ベビーチーズ」(プロセス・チーズの1切れを銀紙で包装)  

栄養学的にはバランスのよい朝食であろうが、白粥と牛乳、チーズの取り合わせは、わたしにとって文化的抵抗感をともなう。
つぎに、夕食の例をしめそう。

「米飯」(本日は小麦粉を10g使用しているので、米飯200g→175gになります、とのカードがそえられている)。
「タラの唐揚げ」(塩、コショウなどで下味をつけることをしないタラの切り身2片に、パセリのみじん切りを混ぜた衣をつけて揚げる。衣の小麦粉の分だけ米飯の量を減らしたということらしい)。ほうれん草とニンジンの薄切りをゆでて、つけあわせにする。
「焼豆腐、糸昆布、白菜の煮つけ」(だし、調味料の味を感じず)。
「エノキ茸の大根おろしあえ」
「海苔かつおのふりかけ」、「減塩醤油」(いずれも市販品の1人分パック)

この夕食の料理には、調味料の味が感じられなかった。患者の健康のために、調理における塩分をなるべくひかえるということであろう。味のたりないぶんは、「減塩醤油」と「ふりかけ」のパックでおぎなえということらしい。この病院で19回の食事をしたが、栄養バランス至上主義の料理ばかりで、うまいと思った料理は一品もなかった。2003年、左足首の大手術で、別の病院に1ヶ月入院したことがある。名医がおおいと評判の病院ではあるが、ここの病院食もひどかった。食堂で一緒になる整形外科病棟の患者仲間に、気品のある年寄りの尼さんがいた。御仏につかえて五欲を超越したような尼さんでさえ、こんな感想をもらすのであった。
 
「わたしはね、入院してから1ヶ月の間に、焼き魚が美味しいと思ったことが一度 あっただけ。あとのお料理は、ぜーんぶ味気ないの。お料理をする方の舌が味盲なんでしょうね。人生の晩年になって、毎日食べ物に不満をいだきながら過ごすなんて、情けないことです。退院したら、なにを食べてもおいしいと感じることでしょう」(『ニッポンの食卓ーー東飲西食』の「大 食軒酩酊の入院記」から再録、平凡社2006年)。
 
病院食に、おいしさをもとめるのが間違っている。病院の食事はうまくないのが常識だ、といわれたら、それまでのことである。しかし、入院患者にとっては、食事くらいしか楽しみはない。病状にさしつかえない範囲で、おいしい料理を食べさせてくれ、うまいものが食べられなくなるので退院したくないという病院に入院したいものだ。病院の給食献立は、その病院に所属する管理栄養士が作成するのがふつうである。病院食は栄養学的には質のよい食事なのだろうが、おいしさについては配慮がかけるようだ。管理栄養士の国家試験の科目には、料理つくりの実技はない。腕のよい料理人と管理栄養士が組んで、おいしい料理の給食をしてくれたらいいのだが。医師の給料にくらべたら、料理人を雇用する費用はたいしたものではないはずだ。

日本のおおくの病院は、患者の快楽を否定する。たいていの病院では、病状とは無関係に、喫煙、飲酒が禁止され、禁欲主義を強制する聖域となっている。わたしは晩酌しながら1時間半くらいの時間をかけて夕食を食べるのが常であるが、酒なしの病院食では20分ですんでしまう。かつては病気見舞いに葡萄酒を贈ることもあったし、天皇が重臣の病床に葡萄酒を御下賜たまわることもあった。フランスの病院では、入院患者に食事に白ワインを飲むか、赤ワインにするかを訊ねるという。

うまい食事を楽しむことは、患者の回復をはやめるはずである。長期の入院をするときには、どんな食事を食べさせてくれるのかが、病院選びにとってだいじなはずだ。老人養護施設にはいるときもおなじである。病院や養護施設の食事を比較して点数をつけた、病院食のミッシェラン・ガイドのようなものをつくってほしいものだ。だが、どうやって、その取材をするのだろう?