花見のご馳走

「花見のご馳走」( 卵の巻き焼き、釜底、長いなり)

 

季節はずれではあるが、花見の話をしよう。
1981年から、酩酊先生の花見の会が毎年続いている。はじめは、国立民族学博物館の関係者による、ささやかな宴であった。しかし、「来る者は拒まず」という原則でやっているうちに、人が人をよび、現在では100人ちかくの常連が集まる、わたしにとっての春の一大イベントになってしまった。
 
誰でも参加できる花見会であるが、「参加者は食べ物か酒を一品持参すべし」というのが、発足当初からのきまりである。コンビニで弁当をひとつ買ってきても、参加資格となる。食い物ばかりで酒のすくない年、肴なしで酒を飲まねばならない年もあるが、それはそれで、ご愛敬というものである。この「持ち寄り散財」の花見の趣向は、落語に由来する。貧しい長屋の住人たちが、台所にありあわせの一品や、酒ならぬ「お茶け」を持ち寄って花見をするのが、東京落語の「長屋の花見」、上方落語の「貧乏花見」である。上方の「貧乏花見」がさきにあり、大正時代に東京に伝えられて、「長屋の花見」という題でおなじみになったようである。
 
今年の花見の会は、奈良で開催された。予定していた桜の木がたくさんある大阪の会場が使用できなくなったので、奈良の夏まで休業中の屋上ビヤガーデンを借り切って、望遠鏡で若草山の桜を愛でることになったのだ。今回、わたしは原点にたちもどって、長屋の花見のご馳走を持参することとした。桂米朝師の演じた「貧乏花見」から献立を選んだのだ。まずは、「卵の巻き焼き」。落語では、「こうことちがうか」といわれて、「色がよう似たある」と答える代物である。まっ黄色に染まった市販のタクアンを切って、小型の重箱に詰めた。
 
つぎは、蒲鉾ならぬ釜底。「かまぼこ言うておまえ。・・・・これ、飯の焦げたんとちがうか」、「釜のかっこうがついてあるやろがな。言うてるがな釜底やがな」と、釜底のお焦げを、カマゾコ=カマボコと洒落ている。本物のお焦げを大量につくるのはめんどうだし、食べてくれる人もいないだろう。中国のお焦げ料理である鍋巴のつくり方を参考に、酒肴になりそうなお焦げ料理を創作した。米と挽肉を混ぜ、コンソメスープの素とカレー粉を溶いた水で炊く。飯をピンポン球くらいの大きさに握り、油を敷いた板のうえにのせ、掌でぎゅっと押して、薄くしたものを、焦げ色がつくまで油で揚げて、香ばしくしたのである。
 
東京の「長屋の花見」では、半月形に切ったダイコンか、白いダイコンの漬け物をカマボコに見立てているので、「胃の悪いときはカマボコおろし」を食べるという。もう一品は、サワラの子にみたてた「長いなり」。「オカラのことをきらずと言うがな。切らなんだら長いなりや」とは、卯の花の煮物のことである。桜湯の桜の花漬けと干し椎茸、油揚げをオカラに混ぜて、だしと薄口醤油、桜の花と椎茸のもどし汁で煎り煮にした。桜の花漬けの香りがする風流な一品となった。
 
こんな料理をつくりながら、思いついたのは、長屋の住人の持ち寄った料理は、江戸時代の都市文化の産物であるということだ。日本人が米を食べるようになって以来、お焦げは食べられただろうが、かて飯ではなく、貧乏人でも混ぜものなしの白米のお焦げを口にするようになったのは、江戸時代の都市においてである。「酒屋へ三里、豆腐屋へ二里」という田舎では、オカラ料理をつくる機会はすくなかったであろう。タクアンなどの糠漬けも、江戸時代になって普及した食品である。貧乏長屋のありあわせの食べ物も、田舎ではなかなか食べられなかったのである。