イラン断酒旅行

チェロ・キャバーブ

「ペルシャ歴史紀行」という団体旅行に参加した。イラン各地をバスでまわり、古代ペルシャ帝国やゾロアスター教の遺跡を見学する旅であった。三食とも現地食で、ペルシャ料理を体験できるツアーであった。
 かって、イランはペルシャといわれていた。古代ペルシャ帝国は、中央アジアからエジプトまで支配下に置いていた。そこで、ペルシャ料理は、中近東から北アフリカにかけてのアラブ料理や、トルコ料理におおきな影響をあたえてきた。この旅行に出かけたのは大食軒だけであり、酩酊先生は参加しなかった。そのわけは、のちほど説明することにする。
 
写真はイランの国民食とされるチェロ・キャバーブである。キャバーブは、下味をつけた肉をおおきな金属の串に刺して焼いたカバブ(ケバブ)のことである。チェロは米飯なので、「カバブご飯」とでもいうべき料理である。
イラン料理にはさまざまな種類のカバブがあるが、「カバブご飯」には、四角に切った羊肉のカバブか、挽肉を串に巻いて焼いたカバブを供することがおおい。写真は、牛肉ミンチを串焼きにしてから、串を抜いて皿に置いたもので、焼きトマトが添えられている。白い米飯のうえに、サフランで黄色く染めた米飯が一つまみ載せられている。米粒の形に注目されたい。まるで、ソウメンを刻んだように細長い形状をしているのが、カスピ海周辺で栽培されるインディカ種のイラン米である。日本のご飯のような粘り気はなく、サラサラとした食感で、米粒の一粒ずつが独立している。
イランの炊飯法について具体的に説明する紙数がないので省略するが、わたしが世界各地で食べたインデカ種の米料理でいちばんおいしかったのが、イランである。混ぜものなしで炊いた飯をチェロというのにたいして、肉や野菜をいれて炊いた米料理をポロという。ペルシャ語のポロが、ピラフの語源になったという説もある。
スパイスを多用する西アジアや中近東の料理のなかで、ペルシャ料理では強烈な香辛料で食材の持ち味をおおいかくすことをせず、パセリ、イノンド、コリアンダー、ミント、クレソンなどの新鮮なハーブ類をふんだんに使うのが特色である。米をよく食べ、持ち味を生かすペルシャ料理は日本人の口にあう。 
 
 
だが、わたしがペルシャ料理を満喫したというわけではない。わたしが食事を楽しむために欠かすことができない、大事なものが欠落していたのである。現代のイランは禁酒国である。
戒律のゆるやかなシーア派のイスラーム教が主流であったので、伝統的のペルシャ文明は飲酒にたいして寛容であった。オマール・ハイヤムは、ペルシャ文学の傑作といわれる詩集『ルバィヤード』で、酒をたたえる詩をいくつも残している。革命前の首都テヘランには、バーやキャバレーがたくさんあり、イラン人も出入りしていた。
 
一九七九年にホメイニ師が主導した革命のあと、イランは酒を禁じるイスラーム法を厳格にまもる国家となった。現在のイランの法律では、アルコール類を、「持つこと」、「飲むこと」、「つくること」が禁止されている。外国人にも適用され、イラン入国時に酒を持っていたら即没収されるし、外国人の宿泊する高級ホテルでも飲酒はできない。酒を飲んだことが判明したら、警察の留置所に放りこまれる。
酒の味を忘れられない人のために、街のレストランには、ノンアルコールの瓶や缶を置いてある。コーヒー味、ザクロ味、レモン味、ラズベリー味など、日本ではお目にかからないイラン産のノンアルコールビールが生産されている。
 
いくら飲んでも酔わないビールで食事をするので、酩酊先生の出番がない10日間のイラン旅行であった。