最後の晩餐

リラ修道院の「最後の晩餐」フレスコ画。

あまり知られていないことであるが、イエス・キリストは「大食漢で大酒飲み」であったようだ。

新約聖書の『マタイの福音書』11節には、「人の子が来て、飲み食いすると、彼らは言う、『見ろ、大飯ぐらいの大酒呑みだ』と記されている。「人の子」(イエス・キリスト)の飲食を見た「彼ら」(人びと)は、「大食軒酩酊」とおなじであると評したのである。

そんなこともあり、キリスト教徒ではない酩酊先生も、イエスさんの飲食には親近感をいだくようになり、ヨーロッパの教会や美術館へ行くと、キリストの食事風景を画いた「最後の晩餐」の絵画をさがすようになった。

ブルガリアの首都ソフィアから、約100キロ南方に、ユネスコの世界遺産に登録されている「リラ修道院」がある。10世紀前半に創立された、ブルガリア正教(東方正教会)の総本山である。ブルガリアがイスラーム教徒のオスマン帝国の支配下にあった時代も、リラ修道院はブルガリア人の信仰の拠点として活動していた。
修道院の中央に位置する聖堂と、それをとりまく回廊の天井や壁面は、主として聖書に題材をとった2000点のフレスコ画でおおわれている。
「最後の晩餐の絵はあるか?」と、英語で現地のガイドに聞くと、「こっちへ来い」と案内してくれた。
楕円形の食卓をかこんだ会食風景である。写真右端の老人が、イエスさんだろうか?それにしても、最後の晩餐には12人のキリストの弟子全員が画かれるのが定法なのに、食事に参加している人数がすくない。
最後の晩餐の献立に欠かすことができないのは、キリストの身体を象徴するパンと、キリストの血を象徴する赤ワインである。テーブル・クロスの上に、引きちぎったパンらしきものが見える。陶器のグラスのなかには赤ワインが入っているのだろうか?
画かれている人物の服装は、キリストが生きていた時代のものとは異なっている。いちばん違和感があるのは、食事に参加した者の前に、ナイフ、フォーク、スプーンが並べられていることである。ヨーロッパで、これらの道具を使用して食事をすることが普及するのは、18世紀以後のことで、それまでは手づかみで食べていた。有名なレオナルド・ダヴィンチの最後の晩餐の絵には、ナイフが一本登場するだけである。
写真の三つ叉のフォークに注目される。現在の四つ叉のフォークは、スパゲッテイを優雅に巻きつけて食べるための道具として、1733年にナポリの宮廷でつくられたという。

1833年の大火災でリラ修道院が破壊されたのち再建されたのが、現在の建物である。フレスコ画は、当時のブルガリアの著名な画家たちの作品で、1846年に完成したという。風俗史的にいえば、時代考証のおかしな絵である。
ヨーロッパ人は聖書に題材をとった会食風景の絵を見たら、なんでも「最後の晩餐」と決めつけるくせがある。わたしのガイドもそうであって、別の画題の絵を見せられたのではないかという疑問がのこる。

 
さて、「お前の最後の晩餐には何を食べたいか?」と、問われたことがある。寿命が尽きるときは、料理をする気力もないだろうし、食欲もないだろうとは思うが、「自分で料理した冷や麦かそうめんを、家族や親しい人たちと一緒に食べたい」と答えたことである。
若い頃に熱帯で仕事をしていた酩酊にとって、冷たい麺類は日本を想いだす郷愁の食であった。また、冷たい麺類のつけ汁をつくるのは、酩酊の得意とするところである。

皆が「うまい!」というのを聞きながら、息をひきとりたい。そのときは、末期の水かわりに、きりっと冷えた清酒を飲みたいものである。