黒パンのうえにサーロをのせたカナッペ

この夏、ドニエプル川の船旅をした。ウクライナの首都キエフから船に乗り、下流の各地に寄港して、黒海沿岸のオデッサにいたる10日間の旅であった。
ヨーロッパの穀倉といわれるウクライナの大平原の中央部をゆったりと流れる、川幅が20?30キロもある大河である。対岸は水平線の彼方にかくれ、川というよりも海の景観である。岸辺の林がとぎれ砂浜が形成された場所には、キャンプ地や別荘が造られ、短い夏を楽しむ水着姿の人びとでにぎわっていた。
この旅の食事はすべてウクライナ料理であった。有名なウクライナ・ボルシチ、鶏肉のなかにバターをいれてつくったキエフ風カツレツ、野菜や肉、チーズなどを餡にした水餃子にバターやサワークリームをまぶして食べるワレーニキなど、ウクライナの名物料理を楽しんだ。
 
あまり知られていないウクライナの食品にサーロがある。豚の脂身の塩漬けで、生で食べられることがおおい。
どこの市場に行っても、白い、分厚い板のようなものを積み重ねて売っている。それがサーロであった。
市場の売り子にたずねると、豚の背の部分の脂肪層を皮付きのまま切ってサーロに加工するという。夏には塩をまぶして1週間置いたら食用になるが、他の季節には塩水に長期間漬けこむという。ニンニク、ディルの葉などの香辛料を加えて漬けることもある。
普通のベーコンは、赤身と脂身が層になった三枚肉を材料として、塩漬けのあと乾燥と燻煙をしてつくられる。サーロは、脂肪層の部分だけを塩漬けにしただけで、燻製加工はしないので、煙による色付けがなされていないので、真っ白で、やわらかな製品である。日本円に換算すると、1キロが約1000円の値段であった。
サーロを2-3ミリの厚さにスライスしたものを短冊形に切って、そのまま食べることがおおい。バターのかわりにパンにのせて食べたり、生野菜のサラダと一緒に食べる。脂身の刺身とでもいった食べ方である。
燻煙の香りのするベーコンとちがって、特別な風味を感じない食べ物だ。塩味をのぞいては、無味無臭で、脂肪の重みのあるしつこさはあまり感じない。やわらかく、ねっとりとした脂肪の歯触り、舌触りがおもしろい。慣れると病みつきになりそうな食品である。 ホリルカというトウガラシを浸したウクライナのウォトカと、サーロの相性は抜群によい。黒パンにサーロの一片をのせたものと、生のニンニクを囓りながら飲むと、強烈な酒が心地よく喉を通る。
サーロは生食するだけではなく、脂身のない豚以外の肉にはさんで料理をしたり、炒め物の油脂として使用したり、煮物料理にいれたりする。植物性の食材でも動物性の食材でも、まず油脂で炒めてから、焼いたり、煮たりするのが、ウクライナの料理技術の特色である。料理に使ったあとに残った、サーロの揚げ粕はウクライナ人の好物であるという。
 
夏のウクライナを旅すると、ヒマワリの花をよく見る。地平線の彼方までひろがる広大なヒマワリ畑もある。ウクライナとその西のモルダヴィアは、世界におけるヒマワリの大産地である。
市場では乾燥させたヒマワリの種を売っている。そのまま口にいれて、歯で殻を割って果肉を食べ、殻をはき出すのである。ただし、ヒマワリの最大の用途は油を生産することにある。サラダのドレッシング、炒め物や揚げ物など、ウクライナ料理にはヒマワリ油が多用される。
ウクライナでヒマワリを栽培するようになったのは、19世紀になってからのことである。この100年間に普及し、その他の植物油を駆逐して、植物性の食用油のほとんどがヒマワリ油で占められるようになった。
ヒマワリ油普及以前は、オリーブ油も利用されたが、高価であったので、民衆の油料理には、もっぱらサーロが利用されたようだ。
 
豊かな国々では、健康によくないと、肉の脂身を目の敵にするようになったのが、現代である。ウクライナを訪れる欧米の観光客も、高脂肪で、しかも生で食べるサーロを敬遠するという。
しかし、肉食を忌避した日本やインドなどをのぞくと、おおくの民族にとって肉はご馳走であり、肉のなかでも高カロリーで、脂肪のおいしさを楽しめる脂身がおいしいとされてきた。わたしが訪れたアフリカや太平洋の人びとに、肉のどの部分がおいしいかと訊ねると、きまって脂身とレバーという答えが返ってきた。
中国では、豚の脂身のおおい部位を肥肉(フェイロウ)とよび、赤身ばかりの部位を痩肉(ショウロウ)といった。伝統的には肥肉が上等とされ、痩肉よりも値段が高かったのである。しかし、経済上昇で肉がふんだんに食べられるようになり、健康志向がたかまった現在は、肥肉よりも痩肉のほうが高価になった。
しかし、国民的食品としての嗜好が確立しているサーロのことである。ウクライナ人がウォトカを飲みつづけるかぎり、サーロが食卓から姿を消すことはなさそうである。

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